東日流外(つがるがい)三郡誌の謎と真偽
文字が薄くて読めないがこの標識に噂の石塔山荒覇吐神社参道と書かれてるのかも知れないがはっきりしない 是非登りたかったが5月でも雪が多くて断念 五所川原飯詰にある  満を辞してH21年9月21日に五所川原市役所から戴いた地図をもとに石塔山に向ったが飯詰で偶々地元の方にお聞きしたら昔例の和田喜三郎氏の隣に住んでた方の話お聞きする事が出来ましたした 驚いたことに今はもうそこに行くのは困難だ 地元では全く誰も彼の話を信じていないと言う 最初の内は彼らが草刈などして道の整備をしていたが今は誰も行かないので背丈ほどの草で行くのは大変だと言うのです そう言えば市の観光課の方も一言も石塔山荒覇吐神社の事を話さないし本人自身も行った事がないとの事でした つまり東日流外三郡誌は地元では誰も本気にしていないと言うことなのです 少しがっかりしたので行くのをやめました  読めば奇想天外で面白いが批判的書物も多くある
津輕 
其の7


 
    高さ22m・重さ16トン・幅6mの立佞武多 五所川原立佞武多館にある 青森・弘前にも勝るとも劣らない迫力のあるねぷたである ねぷた(ねぷた)の起源は諸説あるが坂上田村麻呂が蝦夷を山中からおびき出す為に大燈篭をつくったと言うのが伝承だが歴史的には津輕為信公が文禄2年(1593)京都の盂蘭盆会で凡そ二間の大燈篭を作って献上したと云う記述がある 民俗学的には精霊流しや七夕行事のねむり流しからの発展した者と言うが勿論その起源は不明である いづれにしろ厳しい自然環境と大和民族からの迫害を受け続け虐げられた蝦夷のせめてもの憂さ晴らしの短いひと夏のはけ口だったに違いない(五所川原佞武多館)