陸奥の 外の浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は 善知鳥安方                 藤原定家
                             
子を思ふ 涙の雨の 笠の上仁 かかるもわびし 安方の鳥               西行法師
                            
子を思ふ 涙の雨の 血にふれば はかなきものは 善知鳥安方            藻塩草
                            
紅の 涙の雨に ぬれじとて 蓑をきてとる 善知鳥安方                 ?
                            
里の子が うたふ安かた 安くのみ いく代年ある 秋やたのしむ            ?
                            
陸奥の 外の浜なる うつほ鳥 子は安方の ねをのみぞきく               大塔軍記

そらにして うとううとうと わびぬれば 子は安方と 音をのみぞきく         秘蔵抄
  おや鳥は空にてうとううとうと鳴けば 子は巣の中にて安方と云ふなり この声を聴いて人ほりてとるなり
    
この神社の名をまともによめるのは地元青森の方だけではないだろうか。「うとう神社」と呼ぶ。青森市安方2丁目 市の真ん中に鎮座している。青森発祥のルーツとして青森県人の求心力になっているのかもしれない。この北辺の地にある神社が多数の歌に詠まれたり 世阿弥の謡曲「善知鳥」として演ぜられるのは何故なのだろうか。我々にとって善知鳥 安方 呼子鳥など何を意味するのかどうも分かりにくいのである。青森県立郷土館に立ち寄り資料を頂いたので其の中から概略を載せてみました。昔青森市が安潟という大きな沼だった頃から祀られていたと言うがその縁起は賑やかである。1つが砂洲説で砂洲をアイヌ語で「ウトウ」というそうだ。その漁村をウトウ村 そこの祠をウトウ明神と呼ばれた。2つ目が鳥の名 外が浜に善知鳥と呼ばれる鳥がいて、親鳥が「うとう」と鳴くと、子鳥が「やすかた」と鳴いて巣から出てくる。そこで猟師は親鳥の声をまねて子を捕らえた。すると親鳥は悲しみのあまり血の涙を流して飛び回った。其の涙が体につくとそこから体が腐るので蓑と笠をつけて子を捕ったという。3っつ目は安潟に「やすかた」と鳴く雌と「うとう」と鳴く雄の二羽の鳥が住んでいた。ある時猟師が雄を射止めた。すると雌が恨んで数万羽鳥となって田畑を荒らした。そこで里人が雄の塚をたて霊を祀ったと言う。(平成15年6月10日)(参考 あおもり 第3県版 青森の民話・ 善知鳥神社の由来枝折・青森県の地名 平凡社・ 菅江真澄遊覧記 兜ス凡社)


 うとうの鳥の剥製
青森県立郷土館 
 中型の海鳥(ウミスズメ科) 極めて個性が強く親子の愛情が強い希少な保護鳥 
 メスはヤスカタ オスはウトウと鳴く  と云うのだが・・・。

左 安方の町名

善知鳥神社