安達太良の 嶺に伏す鹿猪の 在りつつも 吾は到らむ 寝処な去りそね     万葉集 巻14- 3428
                                                        
陸奥の 安達太良真弓 弦著けて 引かばか人の 吾を言ひなさむ          万葉集 巻7- 1329
                                                        
陸奥の 安達太良真弓 はじきおきて 反らしめ置なば 弦着かめやも    万葉集 巻14- 343
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万葉集は5世紀中頃から759年までの歌を大伴家持が編纂したもので、約4500首の内陸奥の歌はわずか11首でその内宮城県が1首福島県が残り10首を占める。そしてこの安達太良山が3首も占めているのは極めて驚くべきことである。何故こんなに人気があったのだろうか。陸奥白河の関を越えた後最初の高峰は1700mの安達太良山で阿尺の国峰(くにがみね)である。別名嶽山とも呼ばれ岳温泉がる。南側から見ると東とは丸で違った円錐形の典型的な神奈備山であり特に雪景色は一段とめだって美しく見える。そして安達ケ原にくるとすぐ手の届きそうな姿が左手いっぱいにその女性的姿を横たえているのである。この山は活火山で先年も登山家が亜硫酸ガスで亡くなっている。火の山は恋の山で3句とも男女の相問歌であるのも面白い。1番目は夜這いに行くからじっとしていておくれ。2番目が言い寄ったなら人の口が煩いだろう。3番目があまり逢わないでいると寄りがもどらなくなるよ。との意味らしい。信仰の山とは裏腹に恋の山なのである。偶然だがこの山の麓に在る本宮町も近世には遊郭の町として奥州街道を下る人々の一世を風靡した町である。時代が下り皆さんご承知の知恵子抄の「あれが安達太良山あの光るのが阿武隈川」の名文で知られた光太郎と知恵子の純愛物語の背景になっているのもなんとも因縁めいている。この信仰の山もこんな目で見ると中々粋な山ではある。(平成14年4月20日)(参考 二本松市史 本宮町史 戒石銘 二本松市) 

 
  本宮市付近の奥州街道松並木と遥か彼方の安達太良山    安達太良山全景と智惠子の見た本当の空   あどけない詩 高村光太郎
『智恵子は東京には空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは切ッても切れないきれいな空だ。どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。智恵子は遠く空を見ながらいふ。安達太良山の山の上に毎日出ている青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である』
上・左落合の万葉歌碑
ひだりの歌碑は道標を兼ねた珍しい万葉歌碑なのです  上の案内にあるように上段に歌(巻14-3428) 下段は道標になっている珍しい貴重な碑だ(東ハ三春四リ 西ハ安達太良三リ 南は本宮一リ半 北ハ二本松廿八丁)
 今でも人目のつかない所だが天保年間に万葉歌碑を建てる教養人がここ二本松杉田にいたのには驚です

安達太良山