右 猪苗代 兼載の碑
門外漢の私には恥ずかしながら全く存じなかった猪苗代兼載の碑が猪苗代湖の畔の小平潟と云う所にあったのです この地にあ菅原道真を祀る小平天満宮は実は北野天満宮・大宰府天満宮と共に往時は日本三大天満宮の一つだったと云うのです 由来書によると天歴元年(947)村上天皇が作らせた菅原道真公の神像があるのです 天歴2年(948)の創建と書いてある この天満宮の申し子と云われたのが連歌師の会津が生んだ天才猪苗代 兼載である 御水尾天皇直線36歌仙の一人で明応年間の頃連歌の七賢人とも称され又花下(はなのもと)という連歌・俳諧の宗匠の称号を得て日本連歌師の総帥と仰がれた人物だ 
下 兼載句碑 小平天満宮境内
  さみだれに 松遠ざかる 洲崎かな

  高原列車は行く碑作詞 丘灯至夫 作曲 古関祐而 歌 岡本敦郎
左・上 福島県安積疎水十六橋とオランダ人技術者ファン・ドールンの像
 
明治初期日本は欧米の近代国家に追いつき追い越せをスローガンのもと多くの助っ人外人・御雇外人を招き入れた そのうちの一人がファン・ドールンと云うオランダ人技師である 明治5年日本政府の招きで来日、港湾建設・河川改修等の技術指導にあたっていたがその名を残したのが猪苗代湖の湖水を自然の落差を利用して52q先まで導き当時不毛の地であった安積原野を潤し現在の郡山市発展の基礎となる安積疎水を造った人で物である その功績をたたえて昭和6年猪苗代湖の十六橋水門のたもとに銅像が建てられた  この銅像太平洋戦争時の金属回収令により徴収されのるは必至 しかも敵国オランダ人の像だから尚更の事 とこの像はその時山中に隠され徴収を免れた像なのです  この疎水の恩恵の大きさを感じさせるエピソードでしょう 
 右の碑は磐梯山をかたどった猪苗代兼載没後500年記念碑 磐梯山をかたどった句碑には 
山は雪 海は氷を 
  かがみかな
とある 左の碑は明治20年建立の蘆名兼載の碑

 小平潟天満宮

会津嶺・会津の海    其の5

   昭和29年大ヒットしたこの歌は磐梯山の麓を走る川桁〜沼尻間の軽便鉄道を歌ったもの 丘も古関も福島県人ですが岡さんは沼尻軽便鉄道をイメージしてたが古関さんはスイスのアルプス鉄道をイメージして作曲していたと云うのも同省異夢で面白い 川桁無人駅
左 戊辰戦役母成峠古戦場 県道24号通称母成グリーライン
(磐梯熱海温泉〜沼尻中ノ沢温泉) 慶応4年(1868)8月21日会津藩大鳥圭介・土方歳三以下800名 西軍板垣退助以下3000名が會津国境母成峠で激突した地