柳津のシンボル會津の古刹福満虚空蔵尊 霊岩山円蔵寺 柳津町
名僧徳一大師開創と伝える 千葉県天津小湊町能萬空蔵尊・茨城県東海村大萬空蔵尊と日本3大虚空蔵尊で1200年の名刹である 奇祭七日堂の裸祭りは有名
下右 良寛禅師行脚の地碑 円蔵寺前 往時の柳津の風景と円蔵寺の伽藍の美しい絶景に言葉を失い仏典に説く理想郷・香聚界と最大級の賛辞をもって長詩を遺した 只見川を見下ろす絶景の地にある
下左 只見川崖淵に建つ円蔵寺 |
国重要文化財松澤山奥の院弁天堂 柳津町
807年{大同2年)徳一大師創建と伝え室町時代の面影を残し 尚毎年円蔵時で正月7日に行われる7日堂裸参りは全国的に有名だ
下 丹羽能教の墓 小山田山頂公園
会津藩士で軍事奉行・若年寄りを経て家老に進み容頌公以下4代の藩主に仕えた 鎖国中の日本でも開港・交易の外国船の渡来に対しては文化5年北方警護を命じられ東北の雄藩として遠く樺太まで出陣したり2年後は江戸湾警護を命じられ三浦半島に砲台を築き海防に尽力した |
おけいの墓 背炙山
会津藩の武器商人ヘンリースネル家の子守をしていたが戊辰戦争後スネル等は日本人40人と共に米国に移住した女性第1号であるがコロニーは失敗して離散する 彼女はオランダ人ビアカンプ家に引き取られたが1年後に熱病で死亡した 哀れな彼女のせめてもの慰めはその墓がゴールドヒルと云う所に大理石で造られて葬られているという事だ → |
→それと全く同じ大理石で背炙山にあるのです 武器商人スネルは会津藩の軍事顧問で藩主容保公から日本名を平松武兵衛を与えられ日本人の妻を持ちちょんまげを結っていたという 西は長崎のグラバーか東は會津のスネルともいわれたという(ウイキペディア4より)
下左 田中玄宰の墓 小山田山頂
彼は初代藩主保科正之の名家老田中正玄の四世として生れ容頌・容住・容衆の三代の藩主に仕えた 天明の飢饉では寛政の改革ともいうべき藩政の大改革を断行した 地場産業の振興として漆器・酒造・蝋燭・紅花・養蚕・薬用人参等の産業育成と藩校日新館の創設など現在の會津の基礎を作った名家老であった 文化5年8月五日病没したが鶴ヶ城と日新館の見える所に葬れとの遺言により小山田山頂に埋葬された
関白平 背炙山
関白とは勿論豊臣秀吉の事で彼が奥州仕置で會津へ下るときに現在の背炙山を越えた事に由来する 現在の県道374号でおけいの墓はこの傍らにある |
会津の郷 其の15
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