遠藤が滝はあの頼朝に平家打倒の決起を促した遠藤武者盛遠(1139〜1203年)に由来する 彼は天皇の上西門院に使える武士であったが若気のいたりから姻戚関係にある渡辺 亘の妻袈裟御前に一目惚した袈裟も多少の浮気を重ねたようだが血気盛んな若者は亘と分かれてくれと強引に迫る 然しそこまでは考えていなかった袈裟は思い悩んだ末夫を殺してからにして と哀願した そこで盛遠は夜陰に紛れ寝所に侵入して布団の上から刀を突き刺したが布団を跳ね除けて確認したら袈裟御前であった 亘には打ち首覚悟で打ち明けたが亘はその罪を咎めもしなかったという 彼は世を儚み出家して文覚と号した 夏は裸で毒蛾・毒虫に耐え冬は那智・大峯・葛城・富士・羽黒等の滝に打たれる荒行に耐えて都に戻った時には「飛ぶ鳥も祈り落す」修験者になったと言う その盛遠が安達太良の麓のこの滝でも厳しい修行をした事に由来する |
上左 遠藤が滝不動尊
安達太良の 御山の里の 不動尊
滝にうたれて 祈る巡礼
御詠歌
上 文覚上人像と百八体不動尊
|
|
岩井の清水は安達郡本宮町大字青田にあるがその県道304号を北上すると安達郡大玉村玉井に国指定天然記念物馬場桜があり 更に北十数km先の安達太良山の麓に 遠藤が滝がある 岩井の清水も馬場桜 遠藤が滝も地元の方々以外は余り知らない
左 遠藤が滝
安積の岩井 其の3
|
|
|