陸奥の 安積の沼の 花かつみ かつみる人に 恋やわたらん          古今和歌集(905年)詠み人知らず
野辺はいまだ 浅かの沼に 刈る草の かつみるまゝに しげる比かな   新古今和歌集(1201年)藤原 雅経
五月雨に 浅香の沼の 花かつみ かつみるままに かくれゆくかな      千載和歌集(1187年)藤原 顕仲
夏はまた あさかの沼の 花かつみ かつ見る色に うつる恋かな               壬二集 藤原 家隆
憂しつらし あさかの沼の 草の名よ かりにも深き えにはむすばで
いかにせむ 浅香の沼に おふときく 草葉につけて 落つる涙を
   2首 拾遺愚集 藤原定家(1165〜1241年)
        京にのぼりてためまさの朝臣に馬とらすとて
きみが為 なつかし駒そ みちのくの 安積の沼に あれて見えしを
     陸奥よりのほりたる馬のわつらいてこの国にて死ぬるを見て
別るれど あさかの沼の 駒なれば 面影にこそ はなれざりけれ
        こもの花のさきたるを見て
花かつみ 生ひたるみれば 陸奥の あさかの沼の ここちこそすれ   3首 能因法師集 能因(988年〜1058年?)
五月雨は 見えし小笹の 原もなし あさかの沼の こゝちのみして        後拾遺和歌集(958年)藤原 範永
ちりつもる 花にせかれて 浅香山 浅くはみえぬ 山ノ井の水                 廻国雑記 道興准后
あさましや 安積の沼の 櫻花 霞こめても 見せずもあるかな                 曽丹集 曾弥 好忠 

安積山公園
 安積山と並ぶ「古典のなかに芳しき」名を伝えるのが安積の沼花かつみである。芭蕉の奥の細道にも[・・・・等窮が宅を出でて5里計、桧皮(日和田)の宿を離れて、あさか山有り。路より近し。此のあたり沼多し。かつみ刈る比もやゝ近うなれば、『いづれの草を花かつみとは云うぞ』と、人々に尋ね侍れども、更に知る人なし。沼を尋ね人にとひ、『かつみ かつみ』とたづねありきて、日は山の端にかゝりぬ・・・・]とある。曾良旅日記では、当時(1689年)すでに昔の歌に詠まれた見事な沼はなく、少し残るがいずれの谷も田に変わっていた。昔はこの当たり総て沼のように思える と書いてある。 古来歌に詠まれ芭蕉も楽しみにしていた安積の沼は既になくなっていた。然し1468年に道興准后廻国雑記(関東 北陸 東海 奥州旅行記)の名所を詠んだ中に 
           花かつみ かつぞうつろう 下水の 浅香の沼は 春ふかくして
とあり湖沼の水面に多くの花かつみの影が映っていた と詠んでいる。 凡そこの200年の間に開田されたかして沼は消えていたのかも知れない。実に勿体無い 事をした。
(平成14年7月11日)(参考 奥の細道 講談社  日和田の歴史散歩 有精堂  郡山の歴史 郡山市 郡山市史1)

                               安積の沼