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島田帯刀については今や殆ど知る人は少ないでしょう 天保4年大飢饉・同6年の寒冷地震津波・同7年の奥州大飢饉に際し窮状を見かねた帯刀は幕府に無断で年貢米の取り立てを中止し貯蔵米まで分け与えたのです その責めを負い解職されたが領民の嘆願で復職したと云う かれが代官として支配していた双葉郡富岡町からいわき市まで彼を讃える島田恩慈碑が14もあると云うのには驚きました 五里八幡とは源頼義が前9年の役で奥州へ下る際鎌倉鶴岡八幡を起点に石清水八幡を5里毎に勧請した神社で 県内では勿来の植田八幡・平の飯野八幡・広野の楢葉八幡・川内村の八幡神社等があり相馬新地町駒ヶ嶺には五里八幡の大イチョウがある 右は御多分に漏れないこの鄙びた地でも血なまぐさい戊辰戦争があったのです 事に二つ沼の地には西軍の芸州藩(広島安芸藩)の戦士が多かったよう だ
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左 二つ沼の隣にある戊辰戦争古戦場の碑
二ツ沼 双葉郡広野町
左端 五里八幡楢葉八幡神社碑(左) と島田帯刀の碑(右) 広野町
右中 二つ沼の傍にある万葉の歌碑 |