広野町の旧浜街道の三叉路にある下北迫地蔵尊 楢葉郡内10か村が天明の飢饉で亡くなった人々の供養の為に祀られたもので広野町には地蔵講が今も残る 後の三つ石碑の内真ん中の小さい石碑が島田帯刀の君碑で如何に彼が愛されていたかが分るのです 後の煙の出てる煙突2本は東京電力広野火力発電所である |
右 汽車の碑
♪今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと・・・♪で始まるである 明治・大正・昭和を通じて愛唱された尋常小学校唱歌 常磐線広野駅構内にある 常磐線開通の折東北地方の旅行に出た大和田健樹先生が常磐線久ノ浜〜広野間の風景を詠んだものと云われている それに大和田愛羅氏が曲を付けたと云う(説明版) 尚大和田健樹は鉄道唱歌・故郷の空・青葉の笛等の作詞で有名だ
右下 相馬郡新地町の五里八幡の大イチョウ
二つ沼近くの楢葉八幡神社で初めて五里八幡の謂われを知りました 調べてみると北の端相馬藩新地町駒が嶺にも五里八幡の大イチョウの大木(県指定天然記念物)がありました 小さな祠と鳥居があるだけですが新地町職員の話では地元では白幡の大イチョウ又はさかさイチョウが一般的との話です 然し白幡(旗)は源氏なのでやはり源氏の伝承に間違いのでしょう 街職員の話では伊達政宗がいちょうの鞭を逆さにさしたものが根付いたものだとも云っていた |
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二つ沼 其の2
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