上 石背国造神社
岩瀬郡長沼町(現須賀川市)に石背国造神社がある 国造(くにつこ)とは大和朝廷によってその一地域治めていた豪族の事である 国造本紀と云う古い史書によると「石背国造は成務天皇によって建許呂命の子建弥依米命を以て国造に定め賜う」とあり同時に福島県内に菊多(勿来)・阿釈(安積)・染羽(標葉)・浮田(宇多)・信夫・白河・石城(いわき)の各国造が任命されている ここの宮司さんの苗字が磐瀬氏と云うのですが祭神は勿論初代国造の建弥依米命を祀るが当初は戸上神社・国造戸上神社と称していた 続日本紀によると岩瀬郡の豪族で最初に登場するのが磐瀬朝臣の姓を賜った吉弥候部人上(きみこべひとかみ)なので人上(とかみ)を石背国造18世として人上を戸上と書き換えて戸上神社としていたが明治4年に石背国造神社と改称したのは正解でしょう 名は体を表すから j時代により石背・石瀬・磐瀬・岩瀬・岩代の相違いについては町の図書館で聞いたが不明であった→
岩瀬(石背)の森
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日高見山長沼城址
旧岩瀬郡にある長沼城は日高見山と呼ばれる小山にあり本丸城跡には日高見稲荷神社があるのです そして旧岩瀬郡今泉の白方神社の祭神は日高見国御影神と云うのです 日高見国は蝦夷国の別称である
又常陸・下野・陸奥の接点にある八溝山は往古は日高山とも呼ばれていた 伝承とは言えこれだけ多くの旧跡の存在は古代この地の歴史的重要性を物語る
あの豊臣秀吉も1590年{天正18年)奥州仕置で白河口から会津に入る際8月7日ここ旧岩瀬郡の長沼城で宿営し有名な勢至堂峠を越えて猪苗代湖の南西から会津に入った途上にある地なのです 地味な地区だが見逃せない地だ |