戊辰の役戦死者の碑 
上二つと左下の計3つは藤原川二つ橋のたもとに建っていて 戊辰の役戦死者の碑とある 
碑には慶応4年ここ二つ橋を挟んで西軍と仙台藩士の激戦あり 藩士32名が倒れた 中の作その他の地で戦闘が行われたが合わせて73名の慰霊のためにこの碑を建立した とある 昭和43年の建立である
 
他に鹿島町下矢田の真浄院に戦死の碑と同上矢田の鹿島神社には砲台跡の碑があると言うので捜し歩いたが残念ながら発見できず 陸奥出羽6県にはどこにでも戊辰戦争の爪痕はある いわき市の戊辰の悲惨な戦役を知る人は殆どいない 戊辰戦争と云うと會津・二本松の悲劇ばかりが語られるが白河市やいわき市でも多くの戦死者がでたのです 事に明治時代建立の戦死者の碑は粗末で隅の方に隠れるように立っている 見かねた地元の村民がひそかに建てたのでしょうか
いわき市小名浜の藤原川に架かる二つ橋の近くには戊辰戦争に於ける仙台藩士の慰霊碑がある 右の碑を除き昭和になって建てられたものでとても立派で然も左下は仙台藩士為大内進冥福とその孫が建立したとるあので個人の名前が掘られている 本来賊軍と言われた東北六県の戦死者は名前を彫るのを禁止されていた 
だから右は明治時代には賊軍とされた奥羽越列藩同盟軍の戦死者でその名前を入れる事を禁じられていたので戦死の2文字しか許可されなかたったのです そため為戦死供養となっている ただその右には小さい字で仙台藩士5名の墓 慶応4年7月10日 とある いわき市鹿島町蔵福寺にある
 
可刀利 其の7