野田の玉川の歌碑 玉川(藤原川)の土手に立っている 右の3っつの歌が刻まれている
下 いわき市の野田の玉川(現藤原川)
  可刃利 其の6 
野田の玉川

夕されば 汐風こして 
みちのくの 野田の玉川 千鳥なくなり
  能因

陸奥の 野田の玉川 
見渡せば 汐風越して 
氷る月かな   
順徳院

来る人も 勿来の関と 
呼子鳥 こひて別るゝ 
野田の玉川  
藤原俊成
有名な歌枕の野田の玉川は宮城県多賀城だが岩手県久慈市にもあるのは知っていたがここいわき市にもあるのには驚いた  結局この歌枕は陸奥に3ヶ所になる
 

上 美空ひばりのみだれ髪の碑 塩屋崎灯台の下にある 
下 喜びも悲しみも幾年月
 実在の灯台守の田中績・きよ夫妻を佐田啓二・高峰秀子が演じて大ヒットした
  塩谷埼灯台
単調な海岸線の中で人気があるのが塩屋崎灯台である 美空ひばりの「みだれ髪」/若山彰の「喜びも悲しみも幾年月」の舞台であり星野哲郎木下忠司の詩碑が立っていて近ずくとメロディが流れてくる 豪快な太平洋が一望出来る
  
上  小名濱御陣屋跡の碑
 
小名濱代官所跡である
延喜4年(1747)3月4平藩内藤氏が九州の宮崎延岡藩転封に際し幕府はここ小名濱の地を直轄領(天領)とし竹垣次郎右門を代官に任じ陣屋をこの丘に於いたのです その後森弥三郎に至るまで27代122年たまたま戊辰の役に際して戦火によりその一切を焼失してしったのです(碑説明書き)
 小名浜の代官には名代官が多く島田帯刀は勿論蔭山外記など天明・天保の大飢饉には見事な決断をしている 特に島田帯刀の堕涙の碑はいわき市と双葉郡内に14もあり蔭山外記堕涙の碑もいわき市小川町に残っている 尚最後の代官森孫三郎は戊辰の役際し自ら代官所に火を放ち『わがこと巳に終れり この上は潔く自刃あるのみ』と将士と共に硝煙の中で自決したのです