神護景雲3年(767)に勧進された木幡山隠津島神社 二本松市木幡
下左 国指定(昭和16年)天然記念物木幡の大杉 樹齢900年樹高20m超
下右  室町時代文明4年(1472)建立の隠津島三重塔
右 木幡の旗祭り
前9年の役天喜3年(1055)天皇の命を受けて陸奥征伐に出陣した源頼義・義家父子は苦戦に次ぐ苦戦の連続でこの山に立て籠もっていた 安倍頼時父子は伊達信夫の地に陣取っていた するとその夜の折り方からの初雪が山中杉の木々に真っ白に降り積もりまるで源氏の白旗が林立した様相を呈していた これを見た安部軍は源氏の大軍が突然現れたと錯覚して戦わずして退散したと云う この戦勝要因の報告を受けた天皇はこの山を木の旗山としその山裾の別当弘隆寺を陸奥を治める寺として治陸寺と命名され五冷泉天皇の晨筆の額を賜ったと言うのです それ以来この地の土民は毎年12月の第一日曜日に白旗を先頭に色とりどりの大旗を担ぎほら貝を吹き鳴らして穏津島神社へ奉納するように成ったと云う伝説である 所で社務所の名札を見たら宮司さんの名字が安部となっていたのです奥さんに安倍頼時 ・貞任父子の末裔ですかと訪ねたら部・倍の違いで全然無関係といっていたが不思議な縁を感じたしだいです 日本三大旗まつりの一つ
右 天台別院弘隆寺
三代実録元慶5年(881)11月9日条に「陸奥国安積郡弘隆寺を以って天台院別院とする」とある別院とは本山以外で地方布教の拠点として本山に準ずるものとして設けられたもので東山道(仙道)沿いにあり相生集には「治陸寺木幡山金剛院と言う 古は弘隆寺と云い比叡山の別院なり」とある 大同年間に建立されたが前9年の役で苦戦をしていた源頼朝・頼義親子安倍一族がこの山の木々が雪の為源氏の白旗と見誤り敗北した事によりこの山を木の旗山とし木の旗(木の幡)寺
陸奥を納める寺として治陸寺(じろくじ)と改めた この寺は陸奥唯一の天台別院であった 本堂は現在改修の為幌で終われ撮影できなかった この故事からここは安達郡東和町木幡と云う地名になったのです 木幡山治陸寺古くから隠津島神社の別当
上 国指定重要無形文化財木幡の旗祭り 950年超の歴史と伝統を持つ日本三代旗祭りの一つ  社務所より戴いたパンフから許可を得て掲載



北杉田・七夜桜 其の2