磐城山 直越へ来ませ 磯崎の 許奴美の浜に 吾立ち待たむ
              万葉集巻12- 3195
陸奥の 木奴見の浜に 一夜寝て 明日や拝まん 波立の寺                 西行
いつとなく 許奴美の浜に 人待と ただよふ波の たたぬ日ぞなき           永久百首 源 俊頼
駒なづむ 磐城の山を 越えかねて 人もこぬみの 浜にかもねん           拾遺愚草 藤原定家
磐城山 越えこぬみの はまひさぎ 久しくなりぬ 浪にしほれて            壬二集 従二位家隆卿
                                          
国道6号線を北の広野町からトンネルを抜けるとそこがいわき市久之浜町だ。いかにも陸奥の雰囲気がする相双地方に比べ、太陽も明るく感じるのは私だけではないでしょう。ここは東北の湘南なのである。許奴美とはいかにも万葉的な文字であり、魅力的で新鮮な響きだ。国道と太平洋が平行して走る1キロばかりの景観は中々素晴らしく、古代多賀城へ向う人、或いは防人として出兵する人の心をひととき慰めるには十分な価値があったろうと思われる。波立寺(波立薬師の住職の奥さんの話では子供の頃までは歌碑の辺りから向こう一キロ位松並木だったとの事で、コンクリートで護岸されてしまった現在の景色の比ではなかったそうです。今はわず7〜8本位で然も松くい虫で息も絶え絶えなのは寂しい。所で許奴美の浜は駿河の国清水市興津付近の海岸辺りとの説が有力であるが国不詳との説もあり中々悩ましいのです。でも叶l文社の郷土資料事典7福島県には木奴見の浜古奴美の浜としていわき市波立海岸として載せてある。その磐城山も所在不明のようですが磯崎海岸は茨城県の北部の大洗に磯崎神社があり茨城との説が有力であるがえこひいきから福島に載せたものです。けれども肝腎のいわき市史には「久之浜を許奴美の浜とし陸奥の古奴見の浜に一夜寝てを西行の作とするのは当たらない」とあるの残念だが、逆に「磐城山 直越え来ませ」にある磯崎神社といわき市の磐城山は100kmも離れている。常陸の国に磐城山に類する地名が無いとすれば、常陸の人が北辺の未知なる地への憧れとして磐城にある山(例えば石森山や湯岳)を想起したとすれば磐城山もいわき市の万葉歌としても差し支えあるまい。特定の山ではなく未知なる憧れの磐城の名山を想像してたのではないか?」とあるのは嬉しい限りだ。
(平成14年5月5日 参考 郷土資料事典7福島県 叶l文社・歌こことば歌枕大辞典 梶@角川書店・いわき市史 いわき市) 
   昭和30年に建立の西行の歌碑 絶好の撮影日和
左端 西行の歌碑と許奴美の浜
 国道6号線で一番の景観を誇る   夏は波立海水浴場として賑わう  この岩が弁天岩でこの辺りを鰐が渕と言い鰐ザメが住んでいたと言う 又この浜の砂を持ち出すと浜へ帰りたいと泣くと云いその声を聞いた人には不幸が訪れるとか眼病を患うという言い伝えもあり

左 国道6号線が海岸沿いを走る 東北の湘南許奴美の浜 ずっと奥がひた潟
       許奴美の浜