日本武尊縁の地大甕 館山
ここが
が賊地の平定を祈願した処の館山大きな甕に酒をもって祭祀の為の神社日祭神社を創建したと言う 又その大きな甕を埋めて神と人 大和と賊地の境にしたと言う よってここを大甕と言う 実に古代のロマン溢れる所だ  ここが日本武尊縁の神社と知る人は極て少ないだろう
 
国指定史跡桜井古墳 4世紀後半 
日本武尊がこの地来た僅か凡そ200年位後の古墳に 日本武尊の実存性と親近感を駆り立てられる  東北電力原町火力発電所内の遺跡日本一の製鉄炉跡とは無縁ではないだろう
  延喜式内社日祭神社 式内社行方八社とは日祭神社の他高座・冠嶺・多珂・押雄各神社(以上原町区)御刀・鹿島御子各神社(以上鹿島区) 益田嶺神社(小高区)であり宇多郡の子眉嶺神社 標葉郡にはクサ野神社相双地区10社もある 式内社は毎年神祇官か国司が奉幣する律令政府国家祭祀に組み込まれた官社でありその多くが古代蝦夷制圧戦争にかかわり中央政府から勧進されたものである 数の多さからしてこの地区は東北開拓にとって重要な地域だった証左でしょう 上左 国需要無形民俗文化財 相馬野馬追祭場地の碑 南相馬市原町区
野馬追の起源は相馬市の遠祖の平将門が下総国相馬郡(現千葉県松戸市)の野生馬を放して敵兵とみなして軍事訓練をしたことに始まる 相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社三社の神事である

上中 相馬太田神社
平将門公
から12代に当たる相馬師常公源頼朝の奥州藤原氏討伐に功挙げて奥州相馬の地を拝領する 元亨3年(1321)に師常公から7代目の相馬重胤公がお国替えで行方大田郡に移り住み氏神妙見様を奉じて宮祠を送検したのに始まる

左中  相馬郷発祥地相馬重胤居城跡の碑 初代師常から7代目である 太田神社の正面にある 碑には 相馬郷発祥之地 孫五郎重胤公城祉 とある

 相馬太田神社参道松並木も素晴らし


 真吹の郷 其の4