福島市の西部にそびえ2000mの標高を誇る。今でも噴煙を上げている活火山を恋焦がれる灼熱の恋心に見立物思い山としたのだろうか。 早春にはその小富士に雪兎が現れる吾妻山の別名である。由来については高橋富雄先生の「古代語の東北学」に興味深く記されていて 日本武尊が神奈川県三浦半島から千葉県房総半島へ渡る時に走水で台風を鎮める為に武尊の身代わりとなって入水した亡き妻 弟橘姫を偲ん『吾妻はや あァ・・』と呟いた所まで遡ると言うロマンを持った山なのである。所が倭名類聚抄なる書物には辺鄙の意味に『辺鄙とは馬鹿にして騙す 侮り眩ます』とあり、喩えに『阿豆萬豆(アズマズ)。蚩眩(しげん)、阿佐無岐加々夜加須』と出てるのです。つまり『東人。欺き赫す(蚩眩)』で『東(吾妻)は本来辺鄙で田舎或は田舎者』と云う意味だというのです。辺鄙とは東人・蝦夷の意味の人を表す言葉で、吾妻は決してロマンティックな言葉では無いようだ。ここでは歌枕としての素敵な呼び名を紹介しておきましょう。
(参考 物部・蘇我氏と古代王権 吉川弘文館)(平成14年2月18日)
見ても思ひ 見ずても思ひ おほかたは わが身ひとつや 物思ひ山   古今和歌六帖 在原 業平
あじきなや 恋ひてふ山は しげくとも 人の入るにや 我がまどふべき  一条摂政御集 藤原 伊尹
むかしより 人まどふとは ききしかど 恋ひてふ山に けふよりそ入る        夫木和歌集集
陸奥の 信夫の里に 道はあれど 恋てふ山の 高根しるしも              西行
語らひの 森の言の葉 散りぬらん 思ひの山の まつぞかはらぬ        古今和歌六帖
年を経て しげる嘆きを こりもせで など深からん 物おもひ山     六百番歌合 藤原 顕昭
はれわが 思ひの山を つきむかば 富士の高嶺も 麓ならまし      夫木和歌集 民部卿為家 
 
              紅葉のスカイライン
    物おもひ山(憂思山・吾妻山)
  吾妻小富士が福島のシンボルである 昭和33年にはここに磐梯吾妻スカイラインが開通 下駄履きでも頂上にいけると話題になった  残雪の雪うさぎは福島のシンボルである  右 今も2か所から噴煙を上げている この絶えず燃え立つ熱い噴煙こそ恋といふ山のいわれでしょうか?
わが胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 煙は薄し 物おもひ山(桜島本歌取
)
  盆地の福島市北部郊外と吾妻山(物思い山) 手前裾が信夫山 遠くの山が吾妻山 我妻を偲ぶ事から吾妻山・信夫山となったと言う