御霊大明神 多田野本神社
非業の死を遂げた人の霊の祟りを恐れてその霊を鎮めるために祀たのが御霊の宮という 京都の上御霊・下御霊神社が有名だ |
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上 前九年の役で源 頼義・義家の家臣である鎌倉権五郎景正が逢瀬の地に駐屯していて近くの賊徒を征伐して峠の麓のお社にその霊を祀ったがその後は災いが度重なったため賊徒の祟りとしてその霊を山中にある櫃に似た大石に移して祈願した その後は災いは収まり 五穀豊穣となったためこの石を御霊櫃石として崇めたという そこからこの峠を御霊櫃峠となったのである 鎌倉権五郎景正は後三年の役で其の奮戦振りで有名だ 出羽の清原軍の金澤の柵の攻撃中敵からの矢が右目に刺ささったがそのまま敵の首とった 苦んでいる景正を見て同郷の三浦平太郎為次がその顔に土足を載せて抜こうとしたら景正が切りかかってきた 『矢が刺さって死ぬのは武士の本望だが土足で顔を踏まれるのは武士の恥辱である』と 為次は謝罪の上丁重に矢を抜いたと言う逸話の持ち主である 御霊神社は彼を祀る神社だが梶原景時は彼の曾孫で景季・景高は玄孫に当る 本来関東における平家5家(大庭・梶原・鎌倉・長尾・村岡)を祀る神社として創建されたが武勇の人景正を神として祀るようになった それがこの安積平野に祀られているとは驚きました 景正の孫が大庭・梶原・長尾氏なのです 源氏の祭神八幡神社は陸奥には五万とあるが御霊神社は珍しい 所でこの石は御霊櫃峠へ登る中腹の細い道の左側にあるが小さい目印しかないので見落とすかもしれない
逢瀬川
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