御霊櫃峠から見た猪苗代湖 源頼義の家臣鎌倉権五郎影政がこの地の賊徒を征伐したことからその御霊を峠の麓の神社に祀ったが災害が相次いだため山中の棺の方をした大石に神霊を移し祈願したところ五穀豊穣の地になったので里人は棺石を崇めこの峠御霊櫃峠と呼ぶ
上左 逢瀬川 郡山市街地
上・左 伊東肥前の碑 仙台仏と呼ばれる
 逢瀬側下流郡山市街地で天正16年(1588)伊達政宗軍会津芦名・白河結城・常陸佐竹・須賀川二階堂連合軍が逢瀬川を挟んで激突した郡山合戦である 当時伊達側に属していた安積伊東一族で郡山城主伊東太郎佐衛門が連合軍に包囲されたため伊達軍に援助を求めてきた 政宗は中村の伊東肥前重信の意見を入れて川の北側の久保田山王館に出陣して郡山合戦が始まった この戦いで伊東肥前は伊達軍の難を救ったが本人は戦死してまった 伊達家4代目綱村は彼の功績を讃えて逢瀬川畔に碑を建てさせた これが伊東肥前の碑で参勤交代で伊達家は必ず供養したので仙台仏と呼ばれている  往時は川の南側の高層ビルの辺り旧奥州街道の川沿いにあったが度々の洪水で流された為天王館跡の日吉神社境内に移された ここで郡山合戦と言う戦国末期の戦いがあった事を知る人は少ない

上 郡山大町道標  郡山市伝統文化遺産
右側石碑は江戸時代に立てられた三春道の分岐を示す道標で『従是三春道』と記されている 左側の石碑は会津街道への分岐を示す道標で『右奥州街道左会津街道』と彫られている 古い町中の旧4号国道のY字路に立つ



逢瀬川 其の2






左端 安積山(額取山)の麓の逢瀬町を流れる逢瀬川上流