陸奥の さはこの御湯に 仮寝して 明日は勿来の 関を越えてん          西行

なからいて 世々に経りぬる かひし有れば 嬉しさはこの みゆきなりけり  夫木和歌集 光友卿 

ここいわき市湯本は《佐波古 さはこ》、福島市飯坂は《鯖湖 さばこ》、宮城県鳴子は《沢子 さわこ》の御湯(みゆ)と云う。ともに古からの名湯である。愛媛の道後・兵庫の有馬温泉とともに日本三古湯の一つと云われている。以前よりこのネーミングの由来についてはどこが本家なのか興味があった。特にここ湯本町三函(さはこ)地内にあるその名も温泉神社(佐波古神社)は、延喜式内社で既に1100年前には全国神社名簿に記載された格式のある神社だ。天武天皇の白鳳の時代から佐波古氏が代々世襲神主として連綿と現在まで継承されているとの事で半端ではない。然もこの佐波古ブランドにはあの高僧徳一が絡んでいるのである。神社の西方にいわき湯本のシンボル湯の岳(598m)がある。徳一は湯岳山腹に湯岳観音堂を建て、そこに《戒》《定》《慧》三学の箱を石に納めた との事である。つまり善を修め悪を防ぐ戒律・精神の統一を目指す禅定・真理を悟る智慧の事である。その根本道場こそ山頂途中にある観音堂跡である。麓からパノラマラインで山頂をめざすと道路の傍らに、殆ど見過ごされ朽ちかけかつ倒れそうな小さな丸太造りの貧弱な鳥居がある。そこから4〜500m藪の中をを登ると、1mばかりの方形の石が三つあったのである。そこには三箱石(さはこいし)と書いてあった。あの三学を納めたという謂れのある石である。だからこのやまを三箱(さはこ)山ともいうのであるが、その前に既にこの山は狭鉾山(さほこやま 頂上が鋭く切り立った山)という名前があったと高橋富雄氏は述べている。そしてその狭鉾山は佐麻久(さまく)嶺からきているとのことである。そしてその佐麻久の意味にもいろいろと生い立ちがあるというのだが、実にややっこしくなるのでこの辺にしておきます。ただ何気なく使用している名前にも実に長く深い謂れがあることを、我々は真摯に受け止めねばならないとつくずく感じる次第だ。ところでここ湯本は総てが温泉で出来ていて、神社の鳥居の脇の石碑からも温泉が流れているし、その向にある惣善寺も山号は温泉山である。石炭坑道が地下深くなるまでは、ここの境内からも温泉が湧いていたそうだ。そしてその不況の炭鉱の町からみごとフェニックスのように生き返へらせたのもこの温泉を活用したからなのだ。何から何までが《さはこ》と《湯》から出来ている湯本に、一歩分がありそうな気がするのであるが果たしてどうだろう。
(平成14年5月28日)(参考 温泉神社栞・古代語の東北学 歴史春秋・浜通り風土記 いわき歴史愛好会)
 
 国指定史跡浄土庭園 正面に白水阿弥陀堂が見えます
平泉毛越寺の池を思わせる 岩城氏に嫁いだ清衡の娘徳尼(秀衡の妹・頼義の娘・基衡の養女問う諸説ある)が永略元年(1160)夫の死を弔うために建てたと云う 四方の山を背景に金色堂にを模して平泉文化を彷彿とさせるたたずまいはすばらしい 正式には願成寺阿弥陀堂だ  キリストがおられるところが天国で阿弥陀如来がおられるところ極楽で梵語ではアミターバ(アミダ・アミターユス)と云う 無限の光を持つもの 無限の寿命を持つもの(無量光仏)の意味 無明の現世を遍く照らす光の仏 釈迦入滅ご一千年過ぎると仏の功徳がなくなり法滅の病気・疫病・天災地変の暗黒世界が来るという末法思想故に無量光仏としての阿弥陀如来(西方浄土の主)を競って祀ったのです それが阿弥陀堂です  
国宝 願成寺白水阿弥陀堂
福島県唯一の国宝建造物 この中の5体の仏像は国重要文化財で浄土式庭園は国指定史跡である 御詠歌は
白道の きよきはちすの 阿弥陀仏 
        里のみたから 国のみ宝

とある 実は白水はこの白道が東北弁の訛りで「しらみち」「しらみつ」「しらみず」となったので平泉の泉を白と水に分たものとも言うがこれはこじつけか 土井晩翠も
南無阿弥陀仏と 唱える一声に 
  すくいの御手の ふるるかしこき

と詠んでいる
  
   佐波古の御湯