磐城炭業(常磐炭鉱)祖 加納 作平翁の碑 片寄平蔵の後を継ぎ常磐炭鉱の祖となる
上左 安政2年石炭発見者片寄平蔵の碑 かれの成功を嫉む攘夷派の浪士によって刺殺される
上右 加納作平翁の碑の近くで初めて石炭が発見されたのです
右 昭和31年4月22日職安求人票18〜45歳まで 月給10000円である |
|
|
左 朝鮮人強制労働慰霊の塔 霊光山妙覚寺
昭和30年代半ばまでここは大正時代から続く常磐湯本町の火葬場でした 火葬場移転に伴う跡地には煉瓦の窯や煙突と共に石炭ガラに混じり細かな人骨が多数残されていたという その中には引き取り手のない朝鮮人強制連行労働者の遺骨が多く含まれてたのです 不憫に思った開山上人寂中院日哲上人が堂宇の建立を発願し昭和41年に山号を霊光山 寺名を妙覚寺として開山したのです 朝鮮人強制連行炭鉱労働者の慰霊を初め常磐炭鉱殉難者及び有縁無縁の各精霊の供養の寺となった 実は画像にある白い満霊供養の塔は元火葬場の煙突をそのまま利用しているのです(住職の話と説明板) 実に生々しい慰霊塔なのです 華やかなフラガールの陰には戦前の日本の恥部とも言うべき事実を弔う寺がひっそり山の影にありました 合掌
尚昭和22年8月5日常磐炭鉱の摂氏40度の構内を視察され昭和の天皇陛下は あつさつよき 磐城の里の 炭山は 働く人を をゝしとぞ見し と詠まれた 常磐炭鉱節
♪ハア〜朝もはよからヨ〜 ♪ ハァ〜遠く離れてヨ〜
カンテラ下げてナイ あいたい時はナィ
坑内がよいもヨ〜 月が鏡とヨ〜
ドント主のためナイ ドントなればよいナイ
♪ハァ〜逢えばさほどのヨ〜 ♪ハァ〜俺らが炭鉱でヨ〜
話もないがナイ 見せたいものはナイ
逢はなきゃその日がヨ〜 男純情とヨ〜
ドントすごされぬナイ よいおんなナイ♪ |