拾遺和歌集 読み人知らずは温泉神社の鳥居を入って右にある あかずして わかれし人の 住む里は さはこのみゆる 山のあなたか
俺は河原の枯れすすき 同じお前も枯れ芒 どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき 旅館新つた玄関にある  野口雨情ゆかりの宿 北原白秋・西条八十等と共に童謡界の三大詩人と言われ隣町北茨城市出身 多くの童謡(赤い靴・十五夜お月さん・青い目の人形・他波浮の港・枯れすすき等の人生の歌もある
 町内道路脇の足湯の御湯が湧き出てる場所にある 如何にも温泉町の風情です
  御斉所街道碑 白河・須賀川宿拾五里とある   昭和38年(1963)に廃業するまで女性たちも選炭婦として働き、戦前は男子と同じく坑道の中で上半身裸で真っ黒になって採炭してる女性の写真もある 今では考えられない労働環境だったのです 彼女らの娘や孫娘が今フラガールなのです 昔坑道から湧き出す温泉に苦悩した炭鉱地がその温泉の恵みに助けられるとは皮肉だが惨めな他の炭田地帯と違い奇跡的転換である
  ホテル古滝の入り口にある旧湧出地跡 奥州岩城湯本温泉の碑   常磐線唯一の温泉郷は文豪にも中々人気だ 江戸時代の俳人大淀三千風の日本行脚文集には「さはこの湯に足のつかれをいやし・・・」とあり明治では田山花袋山水小記に「常磐線の沿線に唯一の温泉がある 平から少し南に湯本温泉である 海に遠く眺望に乏しく田舎の温泉にすぎない・・・」と中々手厳しい  そこにいくとさすが耽美派文豪谷崎潤一郎は私の初恋の中で「陸奥の さはこの御湯に ゆあみして かがやく肌を 妹にほこらむ」となり面目躍如である 野口雨情が北茨城磯原の同郷の女性が嫁いでいた旅館新つた入り口には「俺は河原の枯れ薄同じお前も枯れすすき・・・」の船頭小唄の碑が建てる
陸奥の さはこの御湯に かりねして
 明日は勿来の 関を越えてん
西行
世と共に 嘆かしき身は 陸奥の 
さはこの御湯と 言はてせしがな
 藻塩草

たまきはる 命ものふと 陸奥の 
さはこの御湯は 尽きずわくなり
藤原康基 
 
昔坑内炭鉱婦人 今やモダンなフラガール
炭鉱閉山の雇用対策として当初炭鉱従業員の子女の受け皿としてのフラガールであったが、今や映画化もされその認知度は全国的となった 昔彼女らの母や祖母は坑道の中で裸で石炭を掘っていたが、その娘や孫たちは舞台でやはり裸で仕事をしてるのです 温泉地だけにやはり裸が似合うようです(パンフレットコピー)

佐波古の御湯 其の3