左 稲村御所跡の森
ささやき橋
其の3
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その後も関東(鎌倉)公方と関東管領は対立し続ける事ななるがこのへんは中々ややこしいので省略します 現在稲村御用跡の小山は平坦な畑で何も残っていないが森の陰にある
赤城神社
の碑文(左)の一部には
室町幕府関東管領奥羽探題稲村御所足利満直祈願所
と彫られていた
須賀川市郊外にある
稲村御所
足利尊氏
が京都室町幕府を開き 長男
義詮
が二代将軍に就任し重要な鎌倉には
次男基氏
を
関東管領
として坂東・奥羽の統治に当たらせ
た
二代目管領
氏満
の時に奥羽の管理にその息子
満直
を郡山篠川城に
篠川御所
[公方)置き同じく息子
満貞
を岩瀬郡稲村城に
稲村御所
[公方)を置いた 初代基氏は京都幕府に協力的であったが二代氏満になると幕府と対抗するようになり幕府は関東管領を
関東(鎌倉)公方
としてそれまで
執事
であった
上杉憲顕
を
関東管領
としたのである ➡