日本武尊の舟繋石
福島盆地が泥の海でその真中にう浮かぶ島だったので信夫山三山を拝する為に日本武尊が上陸して舟を繋いだ石と云う
下左 日本武尊の拝石
福島盆地泥海伝説のころ日本武尊が信夫三山をこの石に坐って伏し拝んだと言う拝石
下 明治天皇伏拝御野立所
拝石の隣にある馬頭観世音堂 文化2年(1805)6月福島の飛脚問屋島屋が道中の安全を願って建てた物だが其の前にある石碑には明治天皇伏拝御野立所とある 説明板には『明治9年6月19日奥羽巡行の際6月19日御野立所となりたる處なり 昭和16年6月19日 文部省』とある 確かにここから拝見する市街地は素晴らしい
上 羽黒山神社 
神仏習合した羽黒権現として信夫山伏の中核をなしてきた 祭神は八田王子と伝えるが今は皇后石姫を祭神とする黒沼神社の摂社となっている
  石姫皇后古事記では石比賣 日本書紀では石姫皇女と書かれている。又淳中倉太珠敷命(ぬなくらふとたましきのみこと)は多くの書物では第一皇子をさしてるが復刻版信夫山では第二皇子とし第一皇子は矢田珠勝大兄皇子としている。信夫山石姫皇后悲哀物語では復刻版信夫山を参考にしてるようだ 
出羽三山には及びもせぬがその古さに於いて勝るとも劣らない信夫三山神社と石姫皇女・小手姫・欽明天皇・崇峻天皇暗殺・蘇我馬子・聖徳太子等の記述を見ると何か即身仏のミイラのような蜂子皇子ももはや伝説とは思えない信憑性を帯びてきます 小粒とは言え我が福島の信夫山が高貴な皇族方の終焉の地とは知りませんでした それにしても神武天皇に敗れた長脛彦や安日以来陸奥はあらゆる破れた者を受け入れて来た地である事がわかります
 
信夫山 其の4