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上左 宮森城入り口 小浜町を挟み南に位置してる上館・北に位置する小浜城を下館と呼ばれている 応永3年(1396)奥州管領宇都宮氏弘が四本松(しおのまつ)城とし後に文明3年(1471)石橋氏家臣大河内修理が改築して宮森城とした 天正8年(1580)大内定綱が移り塩松(東安達)を納めたのです
天承13年(1585)9月大内定綱を破った正宗がその父輝宗を居城させた宮森城(上舘) 定綱は會津葦名氏を頼ったのです 同年10月政宗によって屈辱的和睦した二本松畠山義継は輝宗にそのお礼に参上した帰り際輝宗の胸ぐら押さえ二本松へと拉致したのです➡ |
右下 正宗野望の出発点となった岩代町小浜城(下舘) 血気盛んな若き正宗が1年居城した思い出の地だろう この小浜は福井県(若狭国)の小浜市に由来するのです 足利義政時代石橋義平氏が四本松を賜りその隋一の家臣に大内備前がいた 備前の祖先は若狭国小浜の出だが祖父内膳の無能ぶりに主君大崎氏から勘当され石橋氏の預りとなり後に家臣となり四本松城の14~5町離れた所に館を構え小浜館としたのに始まる 余談だが小浜市はアメリカ大統領オバマ氏と同名と言う事で一時有名になった 尚この大内氏が天文20年(1551)重臣陶 晴賢のクーデターにより殺害された周防(山口県)の文化人大大名大内義隆の末裔かは不明です
➡それが此処宮森城なのです その後義継は粟の須まで来た所で政宗に追いつかれたのです 輝宗は「速やかに義継を撃ち殺せ!我を顧みて家の恥じを残すな」と叫んだと云う 何の変哲も無い城跡ながら深い歴史足跡があるのです |
人取橋古戦場 本宮市 |
左 奥州の桶狭間 関ヶ原とよばれる人取橋古戦場跡は福島県本宮町の国道4号線の隣にある。正宗7800はここで当時奥州の覇者である会津葦名 常陸の名門源氏新羅三郎義光を祖とする佐竹・白川・石川・岩城・須賀川各連合軍3・5万を打ち破り奥州戦国大名の覇者となった記念すべき場所 碑にはここで討ち死にした伊達軍茂庭左月の名が彫られている 仙道とは福島県中通り方部の事
塩の山
其の3
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