|
左上 戊辰戦争白河口の戦い参加の家紋と旗印
左から奥羽越列藩同盟・会津藩・棚倉藩・二本松藩
上 稲荷山から見た白河口の古戦場跡
正面小山の麓に西軍兵士が進入してきた奥州街道(現国道294号)が見える
左 会津藩家老西郷頼母の歌碑 蝸牛の歌の碑
うらやまし 角をかくしつ 又のへつ 心のままに 身をもかくしつ
白河口総督であった西郷頼母は基本的に非戦論・恭順論者だったため 白河口陥落後慶應4年家老免職となり明治元年10月にはには城を出て榎本武揚率いる幕軍に参加している 明治2年に降伏・自訴し名前も保科近悳と変えている 明治4〜7年伊豆中川で謹申学舎を開き学長をしてる 明治8〜11年は福島県に戻り棚倉都々古別神社宮司 明治13〜20年には日光東照宮禰宜 明治22〜32年新しできた伊達霊山神社宮司を務めている そして明治36年74歳会津若松の長屋にて没す 又生前日この地を通り
旅に寝し 昔の夢の あととへば 恨みを知るや 白河の関
とも詠んで 稲荷山公園
白河の関 其の8
|