東路の はるけき路を 行きめぐり 何時か解くべき 下紐の関 詞華和歌集 太皇大后宮甲斐
あい見じと 思ひかたむる 仲なれや かく解け難き 下紐の関 六百番歌合 藤原季経
下紐の関は福島と宮城の県境の伊達郡にあり 伊達の大木戸とも呼ばれ又伊達関の名もあるが通称は下紐の関と呼ばてる。 坂上田村磨が蝦夷を防ぐ為に設けたという。多賀城にある有名な壺の石碑の碑文に『蝦夷国の堺を去る事一百廿里(63.6km)』とあり丁度この関からの距離で福島以北が未だまつろわぬ蝦夷の地だったのです。紐とは下着の紐の事であり愛する人の旅立ちに変わらぬ愛を誓う証の事なのだが何故 何時からこの様な粋な呼名になったのか興味ある所です。本の中に”濃艶なる恋路を隔つ悶情の関”とあるのは真に言い得て妙の表現である。然しその名とは裏腹にここは国道4号線、東北本線、東北新幹線 、東北自動車道が一点に集中する今も昔も険しい交通の要所であったのです。それに比べ旗宿と白坂の二つの通りがあり二つの境の明神があった白河の関よりも知名度は低いが要害の地の歌枕ではなかったかと思われるのです。この1km南には古代と中世を分けた平泉と鎌倉の古戦場阿津賀志山があり、蝦夷の最後の末裔にとりいかに重要でかつ象徴的なポイントであった事がわかる。そして敗北する蝦夷への同情を誘う地でもあるのです。
(平成14年4月21日)(参考 (参考 古代語の東北学 歴史春秋出版)
現とも 夢とも見えぬ 程ばかり 通はばゆるせ 下紐の関 新後拾遺和歌集 大中臣能宜朝臣
立ち返り 又やへだてん 今宵さえ 心も解けぬ 下紐の関 新続古今和歌集 橘 為仲
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一番上高速道路 下国道4号線 その左下東北本線 新幹線はトンネルの中だ
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