その昔標葉郡高瀬村で詠んだと言う。現在の双葉郡浪江町である。承安4年(1174年)ごろである。あほいのくきとは葵岫と書くとの事(浪江町史料編纂室末永氏。岫とは(みさき)であり出っぱった所の意味であるが あほいのくきとは高瀬山の事とあるので一生懸命高瀬川上流辺りの数百mの標高を捜していたが地元の方に尋ねてもトンと埒があかない。末永氏によると浪江町南部旧浜街道の切り通しのある丘陵の事であると町役場3階の窓から説明をしてくれた。決して想像していた山ではないがそこから1km程北にこの高瀬の清水がある。この清水じつは旧浜街道よりも古い本物の古道で 凡そ50M程東にある個人の自宅の裏にひっそりと忘れられている。そこのご主人の話によると 『11月から3月までの間は水が枯れてしまう』のだそうだ。前を流れる小川をコンクリートで整備したためにである。又古道の通りにある家の奥さんも 『昔ここは井戸を掘ってはいけなく 清水まで水汲みをしたものです] と云っていた。この清水は水田の前にあり幸い7月なので水を湛えていたが 都から多賀城まで1000年以上も前の浜街道を旅する人々にとってこの高瀬の清水は評判の場所であり 人々の噂になっていたに違いない。西行も感激の余りつい2つも歌を詠んでしまったわけである。他にこれといった魅力的歌の題材がある所でもないのにである。この清水に案内板もなく 清水の脇に立ってる由来書もペンキが消え真っ白になっていて全く読めないのは残念だなことです。(平成14年7月29日)(参考 浜通り風土記 いわき歴史愛好会

浪江町役場3階からの あほいのくき 中央の高瀬山のV字型に切れてる所が葵の茎と言う名を持つ緩やかなカーブののぼり坂の旧浜街道である 手前の森の高瀬川の近くに高瀬の清水はある 左写真がその清水だが当時はこの何倍もの水量を誇り ここで一服出来るのを楽しみにした所である 歌にあるように確かに清水は葵の茎の下にあるのはあるが葵の茎と言う呼び名の意味ははっきりしない 高瀬川上流にある県立自然公園内に浪江町出身の佐々木俊一の譜碑があると云う 作詞佐伯孝夫 歌小畑実 昭和26年の名曲「高原の駅よさようなら」の作曲者だ
一、暫し別れの 夜汽車の窓よ いわず語らずに 心と心 又の逢う日を 目と目で誓 涙見せずにさようなら
二、旅のお人と 恨までおくれ 一人抱いて 眺めた月を 離れはなれて 相呼ぶ夜は 男涙で曇らせる
三、分りましたは 分ってくれた 後は言うまい 聞かずにおくれ 想い切なく 手に手をとれば 笛が響くよ
   高原の駅                                
 いい唄ですネ 他にも涙の渡り鳥 新雪 島の娘 きらめく星座 野球小僧等があるが残念ながら現在立ち入り禁止である    
旧浜街道
相馬郡浪江町高瀬の清水 看板はあっても何も読めない看板だ

高瀬の清水
陸奥の 高瀬の清水 来て見れば あほいのくきの 下にこそあれ
     西行 
みちのくの 標葉境に 来てみれば 雲居にへだつ 筑波山かな
       西行