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右 昭和47年(1972)第10回目のNHK大河ドラマ新平家物語の原作者吉川英治氏の撰文「大鳥城誌」が刻まれいる
『・・・・旅すがら昔の人の心ばえやら もののふのあわれを感じては よく夏草の跡へ句など手向けて歩いた俳聖芭蕉も 又この地に来て折り 湯の庄佐藤父子の跡を訪ねて弔ろうたと奥の細道に誌しております 下って私も迂著の新平家物語では兄弟の事跡をそれに書きましたのでいわば無縁の徒でもありません それに近くの飯坂温泉へは若年しばしば稿を携えてきた縁などある儘 芭蕉翁の真似びには及びませんが ここに拙文を草して郷土の方々の郷土愛に呈したわけです 今日に立って昨日を見ればすべて歴史は生々流転の音楽です もしこの石の語るものが途上の遊子の胸を吹く旅情の一弦にでもなれば倖せです ここの山河も諸子と共に奏でを合わせてやみます』 吉川英治先生撰 |
吉川 英治の撰文 大鳥城祉 |
上右 石那坂古戦場跡にある戦没慰霊の碑
東鑑には「庄司以下宗社18人之首、梟阿津賀志山上径岡也」とあり 信夫の庄佐藤基治一族は滅亡した 然し其の係累の佐藤一族の多くは福島には多い
大鳥城祉 大鳥神社 祭神佐藤基治候 |