医王寺薬師堂 飯坂温泉を発見した鯖湖親王をお祀りした祠があった事から鯖野お薬師様と呼ばれる この後ろに佐藤親子の墓がある
十綱の渡し 其の3   
   佐藤一族の居城  飯坂大鳥城跡
信達一統誌には「ここに城を築くとも生きた鶴を城の中央に埋めて本城の守護神とした故に大鳥城の名を負わせた 鶴の魂羽を張り大鵬に変じて敵を拒むところの堅城とうたわれた」とある
   石名坂古戦場の碑 左写真の碑の後に建っている
右  昭和47年(1972)第10回目のNHK大河ドラマ新平家物語の原作者吉川英治氏の撰文「大鳥城誌」が刻まれいる

『・・・・旅すがら昔の人の心ばえやら もののふのあわれを感じては よく夏草の跡へ句など手向けて歩いた俳聖芭蕉も 又この地に来て折り 湯の庄佐藤父子の跡を訪ねて弔ろうたと奥の細道に誌しております 下って私も迂著の新平家物語では兄弟の事跡をそれに書きましたのでいわば無縁の徒でもありません それに近くの飯坂温泉へは若年しばしば稿を携えてきた縁などある儘 芭蕉翁の真似びには及びませんが ここに拙文を草して郷土の方々の郷土愛に呈したわけです 今日に立って昨日を見ればすべて歴史は生々流転の音楽です もしこの石の語るものが途上の遊子の胸を吹く旅情の一弦にでもなれば倖せです ここの山河も諸子と共に奏でを合わせてやみます』        
 吉川英治先生撰 
 
吉川 英治の撰文 大鳥城祉
上右 石那坂古戦場跡にある戦没慰霊の碑 
東鑑には「庄司以下宗社18人之首、梟阿津賀志山上径岡也」とあり 信夫の庄佐藤基治一族は滅亡した  然し其の係累の佐藤一族の多くは福島には多い
 
 
大鳥城祉 大鳥神社 祭神佐藤基治候