天狗党20余名の三界万霊塔供養碑
最年少の者は僅かに13歳である 棚倉町天狗平 |
上左 天狗党田中源蔵処刑の地 塙町 若手のリーダーだが住民を殺害したため逆賊の印象が強い 近くの安楽寺に墓がある 維新の志士・浪士達すべてそうであるように僅か21歳の青年だった 戦前には松竹で映画化された 辞世の歌
霜に染む 枝の梢の 錦より いと珍しき 谷の松ヶ枝
上 天狗党は水戸藩尊皇攘夷派の別名である 其の思想は古来の天皇制を尊重し外国勢力を打ち払う思想で9代水戸藩主徳川斉昭と潘の学者藤田東湖はそのシンボル的存在であった 安政の大獄で井伊直弼により処分を受けた斉昭対して天狗党は1860年桜田門外の変(井伊大老殺害)・1861年英国公使館襲撃(東禅寺事件)・1862年坂下門外の変(老中安藤信政傷害)等の過激集団を形成した 1864年東湖の息子藤田小四郎を中心とする水戸急進派が筑波山に集結し攘夷決行を幕府に迫り挙兵したが幕府の追討軍や水戸保守派の勢力に次第に追い詰められ死罪・島流し等の悲惨な末路を辿り一部は八溝山麓の塙・棚倉へ逃げ込んだのである 思想は兎も角明日の日本を憂い明治維新を待てなかった若き青年諸氏の死は真に無残である
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何時ぞやの総理大臣ではないが『言語明瞭 意味不明』である きっと有難いお言葉なのでしょう 不動とは私達の心が清らかに高まろうとするのをゆるぎないものにする→ |
→ と云う意味恐ろしい憤怒の顔で真の反省を促し後背の大いなる炎で煩悩を焼き尽くし右手の剣で悪業を断ち切り左手の縄で心が揺れ動かないように縛り付けて強く導く明王なのです
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上 阿武隈山中久慈川沿いの鄙びた地域にある町々にも我々の知らない魅力的歴史が一杯あるのです 上は近津大明神遠鳥居跡と彫られてる
左端 名もない天狗党党員の辞世の歌
徳川の 浅き流れは 尽きるとも
いかに尽くさん 敷島の道
国の為 捨てる命は 惜しまねど
ただ真心を 誰に語らん
尚首謀格の藤田小四郎の辞世の歌は流石に立派です
かねてより 想い染めにし 真心を
けふ大君に 告げて嬉しき
咲く梅は 風にはかなく 散るとても
にほいは君の 袖にうつして
八槻 其の5
左 不動明さんのお言葉
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