謄波江(鳥羽の淡海) 今高道祖村と云ひ、西北にして、真壁郡上野村、鳥羽村と同郡黒子村、謄波江村、大宝村との間なる卑湿、蓋是なり。古風土記に、筑波郡西十里、在謄波江、長二千九百歩、広一千五百歩、東筑波郡 南毛野河 西北新治郡 艮白壁郡を載せしにて、明白す。古の笠間・白壁・新治及び毛野河の中間なる一大江にして子飼川之に?し、渺々たる江海を成せる也。 筑波郡家より測れば古代里二十里許り、十恐らくは廿の訛のみ。然るに万葉筑波山の歌に之を
 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き
 けに  念ひつみたし 憂はやみぬ                
万葉集
 筑波嶺の 紅葉ちりしく 風吹けば 鳥羽の淡海に 立てる白波  
続松葉集
阿自久痲山 平沢、今小田村なれど、其地は北条町の東に隣接したり。其北嶺は、神郡の子飼山なり、古の阿自久痲山歟。・・・とある平沢は、筑波山麓の村なれば、阿地熊、即阿自久痲にて、其地も山に傍たる所なる故に、山とm呼べるにはあらざるか、今は其地名なし、云々。
 筑波嶺の 新桑眉の 衣はあれど 君が見けしは あやにきまほし  万葉集
師付の田井 筑波山、坂東平野の中の屹然特立し、形貌最人の視望を延くに足れり、故に古来世に喧称せられて、海内の名山に推さる。山勢は東北、並びに東南に連亘する所あるも、南面、西面、北面の三者は、直に二十米突の平田より隆起し、半径一里許の円規を以て、其山体を成す。されば其三面の麓は、所謂裾輪の形状を呈し、田家里落之を繞る。古人之を師付の田井といへり。
雫の山 筑波山名跡志云、筑波の東麓三里許に、恋瀬川といふ流あり、続御拾遺集に
  恋瀬川 浮名を流す 水上は 袖にたまらぬ 涙なりけり
此川も、筑波山のより起こり、末は舟筏の通ふ流れとなる。山南の桜川と同じく、霞浦へ流れ入る。或は高友川とも、小桜川、信筑之川、志筑川とも呼ばれ、柿岡の辺りより舟筏の通ひあり。此地は万葉のみならず、師付の田井(新御拾遺 曾丹集)しづくの森(新後選 現存六帖)しづくの山(夫木集)などゝ、多く和歌によめり。
                      (大日本地名辞書  富山房)
巻14-3572の意味
    おい!何をぐずぐずしてるんだよ 早くしないと彼女を誰かに獲られちゃうぞ
と意訳できるらしい(ネットより)  弓弦葉は現在のユズリハの事