左上下 国王神社
坂東市岩井の磐井〜結城旋(県道20号線)脇の鬱蒼とした杉林の中にある 天禄3年(972)平将門公の三女如蔵尼により創建された 中世には守谷城主相馬氏が篤く信仰した 現在の拝殿は延宝3年(1675)本殿は天和3年(1683)に建て替えられた 平将門公坐像は国王神社の御神体で共に県重要文化財になっている 三女如蔵尼は福島県とも縁があり将門公戦死の際は難を逃れて奥州に下りいわき市四倉の恵日寺に庵を結んでいた 彼女は地蔵菩薩を深く信仰し出家して如蔵尼と改めた 37歳の時33回忌に際してここ岩井の地に帰り付近の山林から霊木を得て一刀三拝して父の坐像を刻み祠を建て祀ったのである それが国王神社創建の始めである 高さ76cmの将門公坐像が御神体なのだ
石井営所(屯) 島広山 石井営所跡の碑がある
将門が関東一円を制覇するときの拠点とした地で表には島広山の標識がる
 将門が政治・経済軍事の拠点とした所 将門はここを拠点に騎馬軍団の訓練や不毛の湿原の開墾を指揮したという       右画像 一言神社
今から凡そ1100年以上も前ここ草深い坂東の地に生まれた彼は一陣の風となって時代を駆け抜け天下にその名を轟かせた兵(つわもの)である 新皇を名乗った彼の行動は坂東の地を揺るがし 都の朝廷を震撼させる一方中央政府に差別され虐げられていた辺境の民衆からは共感を以て迎えられた故関東一円を始め各地に将門伝説が今猶残っている 天慶3年(940)将門追捕の官符が下され兵士を帰還させて手薄になっていた将門の本拠地(石井の営)藤原秀郷・平貞盛連合軍に急襲され2月14日流れ矢に額を討ち抜かれ敗死した その首は都に運ばれ天下の逆賊として市場綴りに晒された  延命寺(島の薬師) 延命寺は島広山の台上に石井営所の鬼門除けとして建てられた 天慶3年藤原秀郷・平貞盛等に石井営所一帯が焼かれたとき薬師如来像は移し隠され後に現在の低湿地に祀られた 文安2年守谷城主相馬氏が大檀那となって再建した 山門は市重要文化財 右画像 石井の井戸
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