国指定史跡 関城跡遺跡  南北朝時代小田城とともに常陸国内南朝方の拠点として知られる 南北両軍が血を流した古戦場跡で関城と共に戦死した城主関宗祐・宗政の墓(右)や北朝方武将結城直朝の墓がある この城には興国2年(1341)小田城から移った北畠親房が城陥落寸前まで留まり小田城で書いた日本史神皇正統記に加筆した所でもある 謄波ノ江駅の近く北西にある
小島草庵 越後流罪と滞留7年の後親鸞は健保2年(1214)妻子を伴い上野国佐貫を経て常陸の国に入り最初に居住したのがここ小島草庵であるここに3年間居住した後関東での伝道に積極的に乗り出した最初の地である この大銀杏は「稲田恋しの大銀杏呼ばれている 下妻市小島にある
左・上右 弘経寺と千姫の墓(天寿院廟)
十世了学上人は家康・秀忠・家光の徳川三代に厚遇された高僧で家康孫娘千姫は上人に深く帰依しここを菩提寺とした 寛文6年(1666)70歳で没し遺体は家康の母方伝通殿を葬る寿経寺へ埋葬ここには遺髪を埋葬した

左中 宗任神社(何故ここに?)
源頼義・義家軍に敗れた安倍貞任・宗任を祭神とする 宗任公の神霊が「天の道・人の道を行くを宗とし宗道と地名を改めれば人はすこやかに地は栄えるだろう お告げたのでこの地名が宗道となった

将門川  
弘経寺から宗任神社に向かう途中に小川だが流石将門が縦横無尽に駆け巡った地だけに一級河川である 
阿自久痲山 W