大宝八幡神社 境内に万葉歌碑が3首ある
 右 万葉集巻9-1757 高橋連虫麻呂  筑波山に登る歌一首 併せ短歌
草枕 旅の憂へを 慰もる ?もありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の 良けくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へは止みぬ  左 反歌 万葉集9-1758
筑波嶺の 裾廻の田居に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉手折らな
 万葉歌人が歌にも詠んだ騰波 ノ江が万葉の時代この湖の美しさに多くの人々 が心を奪われたことがうかがえる  鬼怒川は約二千年前下妻市南部を東流し糸 繰川に導入され小貝川と合流していた 鬼怒川の 東流と付近の隆起によって小貝川が堰き止めら れその北側にできたのが鳥羽の淡海である その名を留める謄波の江駅 関東鉄道常総線で下りには大宝駅・下妻駅がある 右 謄波の江の歌碑 下妻市小貝川の橋の上にある つくばねの もみぢちりしく 風吹けば とばの淡海に 立てる白波
上 謄波の淡海(鳥羽の淡海) 勿論現在は海(湖)はないが明治に描かれた大宝神社の絵には帆掛け船が浮かび富士山や日光山も見える
左 万葉集 巻20-4369
: 都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之祁
国指定史跡 大宝城跡
八幡宮と関城の間にある 大宝神社を含む一帯が城跡とされている 興良親王(後醍醐天皇の孫・護良親王の子)を奉じて小田・関城と共に南朝の拠点であた大宝城に入ったが城主下妻政泰北朝方高師冬により落城した 大宝八幡宮裏には下妻政泰忠死の地と 下妻政泰公の碑が建っている 
右 平将門鎌輪之宿祉碑
石井(岩井)に移る前7年ほど拠点とした鎌輪(鎌庭)の碑 桓武天皇五大の孫の将門公は鎮守府将軍平良将を父としている  12年間腐敗した都に嫌気をさし相馬御厨から豊田郡鎌輪の宿を本拠として理想郷の実現を図った 下妻市鬼怒
 
           阿自久痲山 V