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息栖神社 神栖市息栖
平安時代に作成された史書三代実録に『仁和元年三月十日乙丑の条 授常陸国 正六位下 於岐都説神従五位下』とありこの於岐都説神が息栖神社のことである
祭神は岐(くなど)神・天鳥船(あめのとりふね)神・住吉三神で海上守護・交通守護の守り神である 江戸時代には主神を気吹戸主神と書かれてるもんがあり芭蕉句碑にも
この里は 気吹戸主の 風寒し
とあります
このように息栖神社は鹿島・香取神社とともに東国三社の一つで上下の信仰の篤い神社だ
広大な内海であったため香取の海とも呼ばれた古代の水郷の中でおきすの社と呼ばれた水の神息栖神社の所在する息栖の地はおきすの津ともよばれて周辺の陸地との交通上の船着き場として大きな港としての役割を果たしていた その水上輸送路は江戸川・利根川・水郷地帯・銚子河口から鹿島灘といった航路が選ばれていた これ等の長距離輸送には当然大型船舶が用いられその往復途上息栖の津に立ち寄り息栖の神々に航路の暗線と家族の安泰を祈願した その時に奉納したのが錨ではないでしょうか |
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芭蕉句碑 神栖神社境内
この里は 気吹戸主の 風寒し
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