左 千二塚 銚子市 銚子漁港
阿波の鳴門か銚子の河口伊良湖渡合恐ろしや
と歌われた日本三大難所の一つが利根川河口である この漁港での遭難者を祀ったのが千人塚である

右 浪逆の海歌碑 神栖市高浜公園
常陸なる 浪逆の海の 玉藻こそ 引けば絶えすれ 何どか絶えせぬ  源 顕仲
東なる なさかの浦に 塩みちて 有明の空に 千鳥しば啼く    巻14-3397
常陸なる 名さかの浦の 朝なぎに あまの少女ら 玉藻刈る見ゆ   宗尊親王 
浪逆の海とは現在の大船津から潮来近辺をの流水域を指す 当時の正式な交通路は津の宮(大船津)−板来(潮来)−津の宮(香取)−京(都)でこのあたりの海上交通の重要な拠点でした
下 おきすの津と錨 息栖神社境内 神栖市
大船の 香取の海に 碇おろし いかなる人か 物思わざらむ 柿本人麻呂
今よりは ぬさとりまつる  船人の  香取の沖に 風向ふなり 藤原家隆
帆柱ぞ みをつくしなる 大船の  かとりの浦の 見るめからねど 利根川図誌

説明板の隣に錆びたが下がっています
息栖神社 神栖市息栖 
平安時代に作成された史書三代実録『仁和元年三月十日乙丑の条 授常陸国 正六位下 於岐都説神従五位下』とありこの於岐都説神が息栖神社のことである 
祭神は岐(くなど)神・天鳥船(あめのとりふね)神・住吉三神で海上守護・交通守護の守り神である 江戸時代には主神を気吹戸主神と書かれてるもんがあり芭蕉句碑にも
  この里は 気吹戸主の 風寒し

とあります
このように息栖神社は鹿島・香取神社とともに東国三社の一つで上下の信仰の篤い神社だ
広大な内海であったため香取の海とも呼ばれた古代の水郷の中でおきすの社と呼ばれた水の神息栖神社の所在する息栖の地おきすの津ともよばれて周辺の陸地との交通上の船着き場として大きな港としての役割を果たしていた その水上輸送路は江戸川・利根川・水郷地帯・銚子河口から鹿島灘といった航路が選ばれていた これ等の長距離輸送には当然大型船舶が用いられその往復途上息栖の津に立ち寄り息栖の神々に航路の暗線と家族の安泰を祈願した その時に奉納したのが錨ではないでしょうか
芭蕉句碑 神栖神社境内
この里は 気吹戸主の 風寒し
野ざらし紀行
出身地伊賀上野への俳諧紀行文
野ざらしを 心に風の しむ身かな
笈の小文
江戸から尾張・鳴門・を経て杜国・伊勢・伊賀・伊勢・吉野・奈良・大阪・須磨・明石の俳諧紀行文
旅人と 我が名呼ばれむ 初しぐれ
奥の細道
東北-北陸の歌枕紀行 日本の代表的紀行文
草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家
行く春や 鳥啼く魚の 目に泪
鹿島紀行
江戸から小名木川-行徳-八幡−鎌ヶ谷-白井-布佐-利根川-大船津-鹿島
 仏頂和尚の招きでの鹿島の名月鑑賞
月はやし 梢は雨を 持ちながら
寺に寝て まこと顔なる 月身かな

      
      安是の海 V