上 安是の海 銚子大橋から利根川千葉県銚子側を見る 



下 安是の海 銚子大橋から利根川茨城県神栖側を見る
万葉集時代の利根川河口・銚子犬吠﨑 これが霞ケ浦の始めの姿

     安是の湖(安斎可潟)    刈野の橋
左  童子女の松原 神栖市
神栖市先端鹿島の波﨑の公園にある
 那賀の寒田の郎子海上の安是の嬢子の美男美女が嬥歌で出会い時を忘れて愛し合っているうちに夜が明け恥ずかしさで松になった話でる 男の松を奈美松 女の松を古津松と今も昔も呼ばれているそうだ 
右 刈野の橋 神栖市
鹿島群刈野の橋にして大友卿に別るる歌一首
牡牛の三宅の浦に さし向ふ 鹿島の﨑に さ丹塗りの 小船を設け 玉纏の 小梶志繁貫き 夕潮の 満のととみに 御船子を 率ひ立てて 呼び立てて 御船出でなば 濱も狭に 後れ並み居て 反側び 恋ひかも居らむ 足ずりし 哭のみや泣かむ 海上の その津を指して 君が漕ぎ行かば 万葉集巻9-1780
ここの橋で作者高橋虫麿は大友卿一行との別れを惜しんで残した歌
安是湖(あぜのうみ・安斎可潟) 湖はみなと・河口を意味する 銚子大橋から河口方面を見る この辺りは古代は当然すべて海だったのです 鹿島神社と香取神社は安是の海両岸の守り神であった
上 刈野の橋比定地 神栖市
ご覧のように田園と言うよりは一面の芦原や雑草の広がりで橋を架ける川はもちろん当時の海の面影はない このころ神栖市はまだ海の中だ
右 刈野の里 神栖市 刈野小学校内 刈野の橋の歌碑
刈野の橋での別れを歌った歌碑でこの辺りが刈野の里と言われている