葦穂山(足尾山 奥/627m)                       加波山(709m)


伎波都久の岡とはこの麓を含む真壁郡一帯ではなかろうかと言うが不詳の様だ
新治の郡。[東は那賀の郡との堺なる大山、南は白壁の郡、西は毛野河、北は下野・常陸の二つの国の堺にして、即ち波大岡(はだのおか)也。] 古老曰へらく、「昔、美痲貴天皇馭宇(みまきのすめらみことあめのしたをさ)めたまひし世(みよ)に、東夷の荒ぶる賊(あた)[俗(くにひと)、あらぶるにしもの と云ふ]を平討(たいら)げむ為に、新治の国造が祖(おや)、名をば比奈良珠命と曰ふを遣しき。此の人、罷り至りて、即ち新しき井(新治の里に在り。随時(ときどき)に祭りを致す)を穿(ほ)るに、其の水浄く流る。よりて井を治(は)しを以ちて、因りて郡の号(な)に着けき。爾(それ)より今に至るまで、其の名改めず といへり。(風俗(くにひと)の諺に、白遠ふ新治国と云ふ)。郡より東の方五十里に、笠間村在り。越え通ふ道路(みち)を葦穂山と称ふ。古老曰へらく、「古に山賊(やまのにしもの)有りき。名をば油置売命と称ふ。今も杜の中に、石屋(いはや)在り」といへり。俗(くにひと)の歌に曰く
         言痛(こちた)けば 小泊瀬山の 石城にも 率(ゐ)て籠(こも)らむ な恋ひそ我妹(わぎも) 
といふ。 枳波都久岡。常陸国真壁郡にあり。風土記に見ゆ。昔は、郡を国といへること多し。吉野国ともいひ、難波国ともいへり。常陸国の風土記には、新治国、白壁国、筑波国、香島国、那賀国、多珂国などいへり。                   (常陸国風土記 且R川出版社)


枳波都久岡 仙覚万葉鈔云枳波都久岡、常陸国真壁郡にあり、風土記にみえたり。郡郷考云、枳波都久岡、其処知り難し、本郡東辺、山岡起伏す。
葦穂山 今足尾山と云ひ、白井、桜井、の東嶺、標高六百二十八米突の者を指せど、古人のいへるは、今の加波山をも汎く呼びて、仏頂山に至るまでの一脈、五六里に亘れる横嶺の惣名とせり。
  葦穂山 花さきぬらん 筑波ねの そがひに見れば 雲ぞ棚引く     現在六帖 行家
                                                              (大日本地名辞書 坂東 富山房)