上 国指定史跡真壁城跡 右 真壁城址碑
真壁城は戦国時代に真壁氏の城である 真壁家は将門の乱で将門を討った平貞盛の弟繁盛の家系でいわゆる常陸平家の一族である真壁郡に入部した平長幹が真壁家の初代当主である 葦穂山の麓の城跡は現在も発掘作業中でした
  天目山伝正寺は文永5年(1268)真壁城主真壁時幹の創建である コ川時代になり真壁氏は佐竹氏と共に秋田角館に移りその後釜に功績のあった浅野長政に隠居領として与えた 長政はここを浅野家の菩提寺としたのです 長政→長重→長直と移り長直はその後播州赤穂に転封して赤穂浅野家となるのである ここには彼らの墓や浅野家家紋入野石桶などがあるのだが工事中のため入山禁止だったのは残念だ  伎波都久の岡
所在地は不明だが真壁城を中心としたここ真壁郡辺りではないかと云う この歌の意味が面白いのです 伎波都久の岡で韮を摘むんだけれど中々籠いっぱいにならないのよ それなら旦那を呼んで一緒に積んだら 此の辺りは韮が沢山採れたのでしょうか
加波山
加波山と葦穂山は同じ山並みにあり隣り合わせである 二つは真壁城跡からは北東方面に見え南側には筑波山を姿を眺めることが出来る 有名な加波山事件は明治17年9月23日下館の民権家4人と福島・栃木・愛知の16人の民権家が加波山に決起し山頂に自由立憲の旗を掲げた事件で 明治政府の圧政に対して「立憲政府樹立と自由・民主主義」を願った行動だが失敗に終わり政府の不当な罪状をもって厳罰に処せられた 右上下は加波山神社里宮拝殿 加波山麓にある

葦穂山 U