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左上下 稲田禅房西念寺
親鸞聖人は健保2年(1214)妻の恵信尼と2人の子供を伴い42歳の時越後の国から常陸国に来た 常陸の国では下妻市小島の小島草庵・笠間市笠間の笠間草庵・ 同じく稲田の稲田草庵・城里町阿波山の大山草庵等約20年間布教に明け暮れた ここ笠間は茨城県内で親鸞聖人との拘りが最も強かった地域である 関係ある寺院には西念寺・光照寺・唯信寺などがある
教行信証執筆の地であり浄土真宗発祥の地としての西念寺は聖人の稲田草庵の跡で稲田山の麓にある 杉の古木の参道の山門をくぐると正面に二層の屋根の本堂がある 境内には聖人御手植えのお葉付銀杏の大木や神原の井の枯れた井戸・御杖杉・弁内回心の地・見返り橋等の伝説・伝承の由来を書いた説明板が立っている 詳細は省くが書かれていたお葉付銀杏は親鸞聖人が草庵の前庭銀杏の実を葉に包んで蒔いたところ葉先に実がなる不思議がり東京大学農学部の向坂教授が検証した結果植物学上世界的な珍種天然記念物お葉付銀杏であることが判明したのです(以上説明板)
伝承・伝説の説明板に載っていた和歌を載せました
神原の たえぬ契りや 法の井の
永く稲田に そそぐためしは
二品尭胤親王
年毎に 水のみちひや 六月の
しるしなるらむ 神原の井
一如上人
老いの身の これぞ力の しるしとぞ
つきとめにけり 庭の杖すぎ
コ川光圀
別れじを さのみ嘆くな 法の友
又会う国の ありと思へば
親鸞聖人
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