左中上・下藤原鎌足(中臣鎌足)古宅跡の碑 
歴史書大鏡には鎌足は鹿島神宮の鎮座する地で出生した と書いてあるが確証はなく奈良県説もあるが確かに鹿島神社近くに鎌足神社があり石碑には大織冠藤原公古宅跡碑が建っていました 本姓は中臣で推古天皇22年(614)生まれで皇極天皇の御代に都へ上り大化元年(645)中大兄皇子を助けて蘇我氏を滅ぼし大化の改新の偉業をなす 死の直前天智天皇より藤原姓を賜り平安時代は摂政・関白として朝廷を主導したのはご存知のとおりである


鹿島 其のV 



月はやし 梢は雨を 
持ちながら

寺に寝て まこと顔なる
月身かな
塚原卜伝生誕の地とその墓碑  鹿島市
剣聖と言われた塚原卜伝は延徳元年(1489)常陸国一宮鹿島神宮の神職卜部家吉川左京覚賢の次男として生まれ沼尾の塚原城主塚原土佐守安幹の養子となり元服して塚原新右衛門高幹と名乗る16歳から武者修行で全国を歩き生涯一度も負けた事がなく全国にその名を知られ将軍足利義輝や伊勢の国司北畠具教などの指南役となる 鹿島新当流の開祖で『剣は人を殺める道具にあらず 人を生かす道なり』活人剣の平和思想をもって生き人は剣聖と称える 鹿島新当流は茨城県無形文化財だ 卜伝の像は鹿島駅前 墓は鹿島市須賀香梅寺跡にある 


瑞甕山根本寺境内 芭蕉句碑
鎌足神社のすぐ近くにあるのが根本寺である 芭蕉の鹿島紀行によれば貞亨4年(1687)8月芭蕉は敬慕する薫花の師で当山の二十一世仏頂和尚に拝顔して山内の小庵に投宿して次の名句を残した
   
 右の句
句碑の前のおばあちゃんに案内してもらった