鹿島立ち
防人が旅立つさい道中の無事を鹿島神社に祈願した所から出発・出帆・門出を意味する言葉となった
霰れ降り 鹿島の神を 祈りつつ 
  皇御軍に 吾は来にしも 
万葉集巻20-4370 大舎人部千文
今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御盾と 出で立つ吾は
 
万葉集巻20-4373 火長今奉部与曾布
大鳥居の右脇に私の好きな防人の歌碑が立っていました
              鹿島 其のW

日本三大神宮の鹿島神宮。今から2,670年前(神武天皇元年)に創建され、日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。武の神様が祀られ、勝負事にご利益があるとされています。また、本殿が北向きに建てられているという特徴。これは、鹿島神宮の神様の勢力がまつろわぬ蝦夷地であった化外の地を平定するための蝦夷平定神であった。そして順調に蝦夷地へ勢力を伸ばしたことから、鹿島神宮は日本建国の節目地点とされています。そこから「物事の始まり」にご利益がある神社とされ、「鹿島立ち」の語源となりました (鹿島神社HP)
左 大鳥居
この大鳥居は国産笠間市稲田の花崗岩で当時日本一の大きさだったが平成23年3月11日の大震災で崩壊。今度は境内のご神木の大杉によって平成26年3月完成したばかりであった 樹齢600年・500年・250年の計4本が切り出され山形県酒田にて加工され再建費用8000万円を要した 高さ10.2m・幅14.6mである
下 重要文化財 櫻門 (熊本県阿蘇神社・福岡県筥ア神社と共に日本三大櫻門) 水戸初代藩主で水戸黄門公徳川光圀公の父君徳川頼房の奉納である 


本殿(下左)・拝殿(上)・石間・幣殿は重要文化財で元和5年徳川2代将軍秀忠公奉納である 下右 奥の宮は慶長10年(1605)徳川家康公により本宮社殿として奉納されたが元和5年(1619)上記拝殿・本殿が秀忠公により奉納されたので300m奥の現在地に引移して奥の宮社殿(重要文化財)とあるが人はあまり関心がないようだ