左上下 茨城県指定史跡阿波﨑城祉 稲敷市阿波﨑
碑には 准后北畠親房卿城址 と彫られている 延元3年(1338)北畠親房は東国に新たな南朝勢力を組織するため義良・宗良親王・結城宗弘・北畠顕信は伊勢国大湊を出奔したが途中暴風雨に遭遇し義良親王は伊勢に戻るが親房一行は常陸国東条庄に漂着し神宮寺城に入る 同年10月5日北朝方軍との激戦に敗れここ阿波﨑城に移動したが間もなく落城しさらに小田城へと転戦する

日本武尊上陸の地 のりの浜 稲敷市古渡 
倭武命海辺に巡幸でまして乗浜に行き至りたまいき 時に浜・浦の上に多に海苔を乾せり 是に由りて能理波麻となづく・・・大足日子天皇浮島の帳宮に幸ししに水の供物無かりき   常陸風土記

上下 信太の浮島 稲敷市浮島
乗浜里の東に浮島村有り 四面は絶海にして山と野と交錯れり戸は15烟 里は7~8町余なり 塩を火きて業とす  常陸風土記

茨城百景 古渡の湖畔(渡し) 稲敷市古渡 国道125号線が小野川を渡ところの古渡橋から 右手に向かって霞ケ浦となる ここから数十キロにわたり湖畔のロードが快適だ 車OK 

東条の浦 稲敷市浮島   南北朝延元3年9月(1339)南朝の中心人物北畠親房は義良・宗良の二親王を奉じ伊勢から海路陸奥へ向かう途中遠州灘で暴風雨に遭遇兵船は四散した 辛じて常陸東条の浦に漂着した所

桜川
 瀬々の白波 しげければ 霞うながし 信太の浮島 
                      詠み人知れず

  霞ケ浦 Ⅶ