静神社境内にある万葉歌碑 巻20-4372長歌
足柄の み坂たまはり かへいみず 吾は越え行く 荒ど男も 立しやはばかる 不和の関越えて吾はゆく 馬のつめ 筑紫の崎に 留り居て 吾は斎はむ諸々は 幸くと申す 帰り来るまでに   作者 倭文部可良麻呂は天平の防人として筑紫の国に赴いたが倭文神武葉槌命の末裔とされている

左 静神社 那珂市静2
 久慈川 V




 『日本国語大辞典』によれば、「倭文」は「しず」とも「しつ」とも読み古代の織物の一種で、梶の木・麻などで筋や格子を織り出したものをいう。『大漢和辞典』によれば、「倭文」は「しづ」「しどり」とあり、「しどり」は「しづおり」の約とある。『織物の日本史』によると、「倭文布(しずおり)」は、五世紀後半から確立される部民制的生産機構に編成された一つの倭文部民(しとりべ)によって生産されたものである。(ネット参照)
 倭文とは倭文(しず)『旧事記』という織物の名で、正しくは「シズリ」「シドリ」『和訓栞』「シズオリ」『天武記』等と読むべきで、これを「シトオリ」となまって読むのは最も拙い読みかたである。この織物は楮(こうぞ)、麻、苧(からむし)などの繊維で、その横糸を赤青の原色で染めて乱れ模様に織ったもので、つまり横シマの楮(こうぞ)布、麻布、苧(からむし)布であるという
倭文神社がある所は織物の発祥の地でもある 

大甕倭文神社鳥居 手前国道6号線(日立市大みか町6-16-1)  
大甕神社拝殿
 大甕神社本殿 磐座(大甕山)は古来神が降りる所とされてるので如何にも神の鎮座に相応しい  大甕の由来はこの地を占拠していた甕星香々背男と称する屈強なる手に負えぬ悪神に由来するという(神社栞)
静神社はかって東国の三守護神として鹿島神宮、香取神宮、静神社として崇拝されてきました延喜式名神名帳(927年)にも鹿島神宮などとともに「名神大社」と記されている 勿論静は倭文(シズリ)が訛ったもので元々は倭文神社でしょう 倭文部は機を織ることを職業としていた家柄でその家の可良麻呂が東国の防人として徴兵され筑紫で詠んだものである ここは静織の里ともよばれ機織りの技術を初めてこの地に伝えたのが武葉槌命なのです
左 常陸風土記の碑「(久慈の)郡の西 □里に静織(しどり)の里がある 昔 綾(しず)を織る機(はた)の使い方を知る人がいなかった時にこの村で初めて織った それに因んで名づけたもの」という趣旨が記されています
 織物を手に持つ織姫像