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上 日本の道百選 つくば道入口
筑波山は万葉の昔から神の山として仰がれてきた 近世には神の山とし江戸城の鬼門を守る祈願所となった 歴代将軍の崇敬厚かったこの道は三代家光の時に筑波山参詣道として開放され往時の信仰の道を今に伝えているのです この道は歴を語る道として昭和61年建設省よりにほんの道百選選ばれた こここ北条T字路を起点に始まる道は神郡には蚕影神社が臼井には飯名神社がありつくばの神の里宮として創建されている 3mを越える堂々たる道標各側面に下記の文字が彫られている 筑波山神社までは凡そ4km程である
上左 にし おふそね いちのや 江戸
正徳5年5月17日 中町・横町講中
左 東 ひだり きよたき つちうら
加し満 これより つくば道
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上左 蚕影神社 つくば市神郡
第13代成務天皇の御世忍凝見命孫・阿部閇色命は筑紫国造に赴任し祭政一致の政務に基づき筑波大神に奉仕しさらに豊浦にある稚産霊神を鎮祭り農業と養蚕業の新興に力を注いだ 有名な常陸紬(結城紬)や絹川・蚕飼川・糸繰川の地名が残るのはこのためだ 同名の社は全国にあるがそれらは総て当社の分霊である それ故当神社は日本一社と呼ばれる 全国養蚕業者尊崇の名社である 然しその荒れ方は余り現代では養蚕業者・繊維業者は御無沙汰のようだ 下記の歌碑は見つからなかったが説明板に記載されていたものである
筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど
君がみけしに あやにきほしも 巻14-3350
常陸なる たてと立野に 織る糸は
筑波の山の錦なりけり 古老の詠
左 つくば道 蚕影神社を過ぎ神郡の集落街並みを抜けるとるといかにもつくば古道らしき直線道になる 正面の筑波山を見ながら万葉の時代から幾千万の参拝者が通った事だろう |