許奴美之浜 
許奴美之浜についてはここ常陸国磯崎の他に駿河国の手児の呼坂石城国久ノ浜等が名乗りを上げていて定め難いようだ。 
那珂湊市の平磯から磯崎の海岸線は忠世代白亜紀の岩石が露出て連なり、獅子石、海老磯、源次郎万次郎磯、明神磯、竜宮卯磯、鷹だて磯、畜生(酒列磯)等の奇岩・名石がり、それぞれ伝説・史話に富み、住民からは神磯として崇められる磯もある。護摩壇磯もその一つで、海へ(向って突出する立方形の岩石で阿字石、清浄石、箱磯、釜石の名がありその形が阿の字ににてるので、弘法大師護摩を焚き阿字観をしたからであると伝える。
(茨城県の地名 兜ス凡社)


左奈都良の岡 日本地名史蹟大辞典 (遊子館)によると磯崎 佐奈都良の岡とあり比定・推定地として許奴美の浜近くの磯崎に印がある。

阿多可奈湖(みなと) 那珂川付近の水道ともいわれ常陸風土記香島郡の項には『東は大海、南は下総と常陸との堺にある安是湖、西は流海、北は那賀と香島の堺にある阿多可奈湖なり。』 とある現在の涸沼からながれ出る涸沼川が那珂川の河口で合流する南が香島郡です 
 



   許奴美の浜 ひたちなか市阿字が浦海岸
右が万葉集巻12-3195の歌碑
  阿字が浦石柱の奥に見える岡が左奈都良の岡
  阿字が浦海岸 ひたちなか市
海岸の南端には洗濯板状の岩礁になってい中世代白亜紀層の地層として県の天然記念物となっているがこの中の護摩壇と云われる岩石の表面が阿の字に似通っていることから地名になったという(ネット調べ)

磐城山 こえてぞ見つる 磯崎の こぬみの浜の 秋の夜の月    藤原 忠通
磯崎の こぬみの浜の 友ちどり 朝みつしほに 声さわぐなり    藤原 定氏
磐城山 越えて許奴美の 浜ひさぎ 久しくなりぬ 浪にしおれて   藤原 家隆
など福島県いわき市久ノ浜や静岡市清水区とかの説もあり俺らが国の歌枕だ と云う我田引水もあり勿論何所でもいいのです 誰も見た人はもういないのだから