留守家3代以降累代墓地
 大安寺  奥州市水沢区
 留守氏三代目以降の墓ここにある 利宗は伊達輝宗の弟で政宗の叔父さんにあたる 征夷偉大将軍源頼義・義家親子頼朝・平泉藤原氏・歴代伊達氏は勿論水沢の三賢人・水沢出身の自民党重鎮副総裁椎名悦三郎などの参拝を受けている 留守氏は頼朝の奥州征伐後その留守を預かる留守職に任命された伊沢将監家景に始まる 職名が家名になったものだがそれも3代目位までで殆有名無実の一介の地頭になっている 後には伊達政宗の忠実な家臣となる

下左 初代藩主留守利宗公像 日高神社      下右  境内留守家奥津城   大安寺
上 高野長英居宅 奥州市水沢区
左 高野長英の墓 大安寺
高野家の末裔の墓地の中にある

 福島県須賀川医学校を卒業 刺客に襲われた板垣退助を治療 東京市長・内務大臣兼帝都復興院総裁では関東大震災後の東京駅・銀座通り・昭和通り等現在の東京都市の基礎を作り100m幅の道路計画や逓信大臣兼初代鉄道院総裁時代には現在の新幹線と同じ広軌レールを主張した そのほか初代NHK総裁・ボースカウト初代総裁等稀に見る先見性のある政治家であった 水沢に墓はいらぬ その代わりこの家を長く残しておけと言ったと言う
  高野長英生誕の地碑 奥州市水沢区
留守氏家臣後藤惣介実慶の子 母の実家の養子となり高野を名乗る 17歳で江戸に出て吉田長淑の門下生となり長英の名を得る
 高野長英居宅 幕末の先覚者 漢学・蘭学・江戸に登って蘭方医学・長崎シーボルトの鳴滝熟では近代西洋医学を学び更に政治的見識をも高めた 医原枢要・泰西地震説・二物考等医学・地学・生物学等の著作も多数ある 蛮社の獄では幕府批判の夢物語を書いて獄中の身となる 嘉永3年(1850)47歳で自刃する
水沢市は一関の三賢人同様水沢の三偉人として高野長英・後藤新平・斉藤実・政治家椎名悦三郎氏などこの蝦夷地から多くの賢人・偉人が出るのは不思議だ 勿論岩手県から5人(含本籍岩手県の東条英機)の総理大臣が出てるのでも分かる これは山口県の8人に告ぐ2番目だ
右上 東北人には珍しい大風呂敷の異名を持つ 後藤新平居宅 
右 昭和7年5月15日(5.15事件)で凶弾に倒れた軍人・総理大臣斉藤 実居宅 

稲瀬の渡り 其の14   

犬養毅の後を引き継ぎ首相就任 挙国一致内閣を組閣し昭和恐慌克服の為には{自力更生}を提唱した 駐米武官・艦隊参謀・巡洋艦長・海軍次官から西園寺公望内閣では海軍大臣就任後歴代5内閣で8年間海相を勤めたが内大臣の時昭和11年2月26日凶弾に倒れた(2.26事件) 後藤新平とは竹馬の友 同郷の原 敬内閣では朝鮮総督(水沢三記念館栞)  忍耐は人の宝なり 人に接するには調和を旨とし謙譲なる態度忘るべからず・・・等の処世観の碑がある