奥州曹道洞宗の古刹 大梅拈華山正法寺 奥州市水沢区黒石町
南北朝時代貞和4年(1348)
 無底良韶禅師により開基 本堂・庫裏・惣門の3点が国指定重要文化財である 永平寺 総持寺と共に奥州曹洞宗の第三本寺として東北における曹洞宗の本山である 720坪の面積のある茅葺屋根は日本一と云う事である
 黒石寺には薬師如来象・四天王立像・僧形坐像3体の国指定重文と県重文の14体のの仏像が有名である 更に選択無形民族文化財蘇民祭は奇祭として有名だ そもそも蘇民の意味が不明でしたが黒石寺栞によると蘇民将来巨旦(こたん)将来と云う兄弟の兄の名前なのだが 兄蘇民は貧しく弟巨旦は裕福でした 或る夜武塔(たけあき)神が一夜の宿を弟に求めて断られたが兄蘇民は貧しいながら粟の飯でもてなした 後に武塔神が八人の王子と帰る途中将来の家に立ち寄り蘇民はいるかと訊ねたが妻と娘しかいなかった すると『茅の輪を腰につけよ』と命じた後に総ての者を滅ぼしたと云う そして『私は須佐之男命なり 後の世に疫病あらば蘇民の子孫と言い腰に茅の輪を付ける者は難を免れるだろう』といったという この黒石蘇民祭はつい最近まで下帯さえ付けない素っ裸で行われていた 厳冬正月7日の男の裸と炎の祭りとして原型を失っていない祭りとして有名である 然し2007年以降は全裸の祭は禁止されたが親方はその後も全裸で参加したので岩手県水沢警察署は「例え伝統文化の宗教祭祀でも猥褻物陳列罪が適用される」という野暮な決定をしてる マスメディアの発達による映像の氾濫と観光客の増大は素朴な民族の伝統文化をも変えた (参考 東北のふしぎ探訪 無明舎出版)  

稲瀬の渡し 其の4



 ➡鳥取男速とは曾我氏に敗れた物部守屋の臣下で守屋の子那加世を蝦夷の秋田県仙北郡に隠れ住みまわせたと言うのだ 後に那加世は日の宮(天日宮)の宮司となるが現在の秋田大仙市にある唐松神社の宮司は那加世の末裔と言う物部氏なのだ こんな田舎の神社にも我々の知らない深い歴史を見つけるのは何とも嬉しい  
 前沢町目呂木辺りにあったと言う覚べつ城跡とされるが今だ未定である この右に北上川が流れその向かいに母礼の国母体がある 続日本紀には「陸奥国は船路をとり遺賊を伐ちおさめんと欲すれども、此年甚寒くして其の河すでに凍り船を得ずして賊をして来犯する事やまざらしむ 故に先ずその寇道を塞ぐべし 仍って軍士3000人を差発し、3・4月雪消え雨水汎溢の時をとり、ただちに属地に進み、因って覚べつ城を造るべ」と天皇に進言している  この辺りが覚べつ城跡ではないかと思われる(現在覚べつ城跡は河崎の柵跡ではないかとされている) 
上右 妙見山黒石寺 水沢市黒石町 天平元年(729)行基菩薩の開基で東光山薬師寺と称した 嘉祥2年(849)慈覚大師が復興し妙見山黒石寺とした 天台宗古刹   石手堰神社 水沢市黒石町 黒石寺創建される半年前貞観4年式内社(官社)に指定され正六位上を賜る県道14号と北上川沿いにある  左 姥塚 姥屋敷 藤原清衡の乳母が生まれた所 近くに止止井神社(下右端)があり又覚べつ城(未定)がある 近所のおばちゃんが案内してくれた 延喜式内社岩手堰神社   
黒石寺の奇祭蘇民祭の像 県道14号と国道343号のT字路にある

延喜式内社止止井神社 奥州市前沢区   変わった名称で昔都鳥村にあり物部氏の鳥取氏とも関係がある➡