上は平泉の束稲山山頂から見た奥の賊地といわれた水陸万頃の地胆沢の郡である 手前が前沢町で奥が水沢市で更に奥に江刺市・北上市がつらなるのです 北上山脈の西端をなす丘陵のたもとを北上川が流れその左方は豊かな奥の平野が広がる広大な大地である この豊かな大地を守るため蝦夷の長阿弖流為・母礼等が敢然と大和朝廷に立ち向かった。
 水陸万頃の碑
胆沢川沿い走る国道397号線(通称安部の道)の傍らにある徳水園公園内にある 尚この国道397号線の安部の道はダークダックスが歌った銀色の道のモチーフになったようで徳水園にはゾウ・ゲタ・マンガ・パクのサイン入の石碑があった

水陸万傾の碑 
胆沢区若柳土橋徳水園にある 続日本紀に記述され豊かな水と肥沃な大地と云う意味

北天の英雄母禮(もれ)の屋敷跡  県道106号線沿いにある
母体
(もたい)の里は蝦夷の首長母礼の本貫の地であった 母体は本来母體であり母礼は本来母體であったと云う 筆跡の誤記から體が禮になったのでしょう ですから本来モレではなくモタイと発音すると言う ここの字名は生母(せいぼ)と言う 
稲瀬の渡し 其の3


 

  憤怒する阿弖流為 
1664年(寛文4年)藤原満清が常陸国鹿島神宮に奉納したもののレプリカ 祖国防衛の強い意志の顔だ 三白眼がその証拠だ
 奥州市埋蔵文化調査センター

住宅の石垣に描かれたアテルイの似顔絵
北上川を挟み白鳥柵の向の県道14号線沿いにある 旧胆沢郡前沢町 江刺・水沢はアテルイの里

右 奥州市埋蔵文化調査センター内に描かれれたアテルイ 伝説の人物悪路王の顔がアテルイそのものと➡

誤認されるので水沢地方振興局が延暦八年会に委託し岩手大学工学部千葉則茂教授が水沢黒石寺の最古の薬師如来や悪路王その他さまざまなデータからCGで合成したアテルイのイメージ像である
 
同じ一つのバス停なのにバス会社によって別々の名称名のも面白 他にも姉体・登満羽毛・赤生津・目呂木・田河津などの特異な地名がある 
 生母・母体菅公夫人の居住伝承の地の謂われがある

左 阿弖流為の郷公園にあるアテルイをモチーフにした塑像