渡船場跡  国指定史跡史蹟長者原廃寺跡近くを流れる衣河にある渡船場跡 大河北上川への支流衣河から舟運の拠点の桟橋跡地だったろう 長者が原と言えばか金売吉次の屋敷跡との伝説もあり商業・物流の拠点だったかもしれない 桟橋跡地  しかし1000年前の寺跡と結論が出たそうだ
   向いの山が金色堂のある関山   上右 泉ヶ城(業近柵)へは衣河に架かる泉ヶ橋を渡る 城は衣河の複雑な流路と険阻な山岳の高台にある 城は秀衡の三男和泉三郎忠衡の居館地であるが前9年の役ではこの柵が破られたため衣川の全面撤退となったところである
芭蕉の奥の細道にも『衣河は和泉が城をめぐりて高館下にて大河に落入』とある 泉ヶ城橋の下を衣川が流れる
 衣河の各表情です

左 衣河河畔にある八日市場の碑 藤原時代平泉は政治・文化の中心だが衣川村は流通・経済・商業の中心地であったので6日・7日・8日市場跡等多数ある 
   
義経に忠実で兄泰衡に殺された秀衡の三男で和泉ヶ城主和泉三郎忠衡の墓 葛西文治氏が個人で自宅裏に建てられた 芭蕉奥の細道塩竈神社の項で『・・・神前に宝塔あり かねの戸びらの面に『文治三年和泉三郎寄進と有り 五百年来の俤今目の前うかびてそぞろ珍し 彼は勇義忠孝の志也』とある その人物の墓である
上  琵琶館
衣川上流の険しい山地の泉が城の近くにあり安倍貞任の庶兄の成道の館跡

上左  葛西文治
 泉が城跡地あるに一軒家の表札がユニークある 文治5年頼朝は平泉を滅ぼし藤原氏に代わって御家人葛西清重に奥州総奉行職と言う警察権を与えた このお名前は一瞬頼朝が近くにいるのでは・・・・との錯覚を覚えさせますね 葛西氏の末裔かもしれない

 衣河 其の3