左 瀬原古戦場跡の碑
前九年の役
の天喜5年安部軍衣河本陣に義家軍を誘い込む作戦をとった 義家は北上川東岸の長島から渡河して衣河に攻め込んできた その時陣場山(現国民宿舎衣河荘がある所)から潜んでいた安部軍が十分にひき付けてから突然攻撃を仕掛けてきた 義家はその退路を断たれて安部軍の大勝利につながったと伝える瀬原古戦場跡ご覧の様に文字の消えかかった木柱の碑があるだけだ
右 らんとう場
天喜5年旧殿古戦場戦死者埋葬の地
紀古佐美が衣川に三つ作った営の内の一つ中の営古戸古戦場跡と古戸古戦場跡

張山古戦場跡  当然だが衣川には古戦場跡が多い いや衣河村そのものが古戦場と云ったほうが良いす
   衣(川)の里 其の3      

源頼義・義家軍陣地 八幡山神社  天喜2年源軍がここに布陣し源頼義た安倍頼時を攻撃するにあたり戦勝を祈願して担当一振りを奉納したという  ここからは鳥居から安部館を見る事ができる この間に南股川がる 近くでこの南股川と北股川が交わり衣川となる

 中の営跡 古戸古戦場跡  衣川役場 小中学校 保健福祉センターは村の中心地の古戸地区にある この辺りも安部氏と源・清原連合軍の戦場となった古戸古戦場跡であり 又其の270年前アテルイ征伐軍の紀古佐美が駐屯地を置いた営跡なのです 近くには安部氏の軍馬600頭を繋いだ厩 駒場跡がり 又乗馬訓練した馬駈跡があり一首坂もこの近くにあるのです 衣の里は其の総てが史跡みたいなものなのです
 
八幡山 旧殿古戦場跡   延暦20年田村麻呂によって祀られた 衣川村で1番旧い神社で旧殿とも呼ばれここの地名にもなっている 厳美方面から進行して来た源氏軍と安部軍がここ旧殿で激闘を演じた所 その戦死者を葬った所がらんとう場である 天喜5年(1057年)頼義・義家軍が陣どった所南股川を挟み向かいには阿部館が見え大激戦となった旧殿古戦場  神社前にいたお母さんに聞いたが昔は「乱闘場」と書いてあったと云う 
 
 館跡  単に館跡とされているが安倍頼時とその息子貞任の居宅跡と伝える 安倍氏は頼時の祖父忠頼の頃から上衣川の安倍館を本拠としたが父忠良を経て頼時の代にこの地に本拠を移した 南北に通じる主要道路も館東側を通しそれに伴う衣河柵は館の南東にあたる『一丸の泥を以って封ぜば誰か敢えて破る者有らんや』の地とした