国指定天然記念物交叉層 層は昼なお暗い森林で交叉の具合が分り難いです
交叉層は偽層(クロスラミナ)と呼ばれ地層が斜に交叉する小規模な地層の事で、流動している水中又は空気中で砂や砂礫などの堆積するとき生ずるものと云われる この浪打峠の交叉層は海水の中で堆積したもので砂や軽石の粒火山岩の粒が主な堆積物で、それにホタテ貝等の破砕片を多く含み美しい縞模様を造りながら積り明瞭な交叉の模様を見せてくれる この交叉層はその外観が美しく規模も大きい事から国の天然記念物に指定された この地層は末の松山層と呼ばれ海底火山の噴出の激しかった頃に海水の中で堆積した末の松山層の上位の部分の地層で今から1500万年前に堆積したもです➡
 
明治天皇巡幸の碑
➡ それにしても標高302mの峠が1500万年前は海底だったとは動かざる事山の如しの名将武田信玄も気が付くまい

  
  上・下 国指定史蹟浪打峠の一里塚

 浪打峠は別名末の松山ともいい一戸から二戸(福岡)へ抜ける奥州街道である(説明板)

 国指定史蹟浪打峠の一里塚 浪打峠少し一戸町方面位下った所にある奥州街道一里塚である  盛岡から15番目の一里塚で道の左右に完全な姿で残っている 所有者が個人て奥の一塁塚は一戸町大道沢の塩谷康文となっているのも面白い ご覧のような昼なお暗い寂しい細い道の奥大道 奥州道中である 盛岡以北は往来する参勤交代の大名も北海道松前氏 八戸・三戸・二戸南部氏位で宿駅も少なく山又山の果てしなき山間大地である こんな道を明治9年には明治天皇はどんな乗り物で巡行されたのでしょうか
 
 奥州街道 浪打峠
末の松山 其の3